秋の着物は濃い色の羽織が多くなります。
気候も良く、長距離のドライブも多くなります。車の運転の時は草履を履いて運転をしております。雪駄や下駄では運転が出来ません。
『西陣夢まつり』は毎年楽しみに参加しています。着物を着て参加すると、数々の特典があります。京都の都ホテルでも袴を着て宿泊している人は珍しいようです。
着物に関する愛読書は『美しいキモノ』です。これは約10年間毎季購読しております。この本も最近では男の着物の掲載が少なくなったのが、残念です。 |
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山口市の瑠璃光寺の五重塔。
1442年に建立され、大内文化の最高傑作である。
その美しさは京都の醍醐寺、奈良の法隆寺とともに日本三大名塔と言われている。 |
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山口をわざわざ訪ねてきた二人の幼馴染をこの五重塔に案内した。その礼状のお手紙です。 |
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山口の秋(紬の着物に、女房作の袖無し羽織りと野袴で)
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”さくと 佐徳”と右から書いてあるJRの駅名
徳佐駅(JR山口線).SL山口号 |
船方農場(山口県阿東町徳佐)のリンゴ園にて
リンゴを取って大満足 |
鍋倉駅(山口線)でのSLとリンゴ狩り |
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長門峡(山口県川上村、阿東町)
峡谷の巨岩、奇岩、急流、深淵、周囲木々の
調和が美しい名勝 |
長門市深川「大寧寺」の紅葉
大内氏三十一代当主義隆は。北九州を抑え、大陸貿易の掌握に努めた。学問・芸能に秀で、大内文化を花開かせた。後、重臣陶隆房の謀反のため、「大寧寺」で自害。大内氏は滅んだ。宮島の弔い合戦で、毛利元就が勝利をおさめ、以後毛利氏の支配となる。 |
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小豆島へ紬の着物に袖無し羽織に野袴で
銚子渓(お猿の国)手を開くとお猿は来ない。 |
寒霞渓山頂にて。 |
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映画”二十四の瞳”の岬の分教場にて→ |
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木曽路へ(詳細は)中山道(530Km)69次のうち、木曽路は、江戸から33番目の贄川(にえかわ)宿から馬籠(まごめ)宿までの木曽11宿(22里、90Km)だが、現在もその面影を残すのは奈良井、福島、妻籠(つまご)、馬籠の4宿だけとなった。
2階の屋根が50cmほどせり出した出梁(だしはり)造の2階屋と堅繁(たてしげ)格子の家並みが続く妻籠宿は現在も江戸時代の面影を色濃く残す |
木曽漆器の町平沢
山加萩村漆器店の漆蔵を改造した”ギャラリー蔵” |
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秋の京都へ(詳細は)
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東映太秦映画村にて、遠山奉行に変装
左;この桜吹雪(Tシャツ)が目に入らぬか!! |
清水寺の七味屋の店先にて。
米沢紬の単衣の羽織りに、紬の合わせの着物で、 |
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佐賀インターナショナルバルーンフェスタ2002年
早朝眠い、寒い、まだ暗い。 |
紬の着物に袖無し羽織り、野袴で出掛けました |
早朝7時競技開始、寒い、80万人の入場者、宿が取れずに、鳥栖に宿泊し、鳥栖6時1分発のJRで佐賀バルーン駅に6時20分に到着。EOS35−300mmレンズの威力が発揮出来ました。 |
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日田市豆田町の天領まつりにて(10月20日)
日田杉の下駄は履き易い |
周南緑地(徳山市)の銀杏並木の落葉
能登紬の着物に羽織で |
京都西陣の散策です。
紬のアンサンブルです。 |
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京都南禅寺にて
左の女性は結城紬、中央は大島紬の着物.。
茶色の紬の着物に、こげ茶色の髭紬の羽織に、
紬の袴です。
秋は濃い色の羽織に薄い色の着物が
似合うようです。 |
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渡り鳥に変装 肥前夢街道にて |
高知のはりまやばやしで
髭紬の羽織と綺麗な丹後縮緬無地(女物)
の着物です。笑点に出られるくらい粋な色
は男物にはないようです。
(勿論、車を運転して行きました。) |
緑色の大島紬
雲仙の旅亭"半水慮"にて
(雲仙も車で行きました) |
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国定公園秋吉台・秋芳洞
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洞内最大の見所の黄金柱
結城紬の着物に髭紬の羽織りで
今から3億年前に出来たサンゴ礁がそのまま岩になったと云われています。 |
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カルスト台地を行く、ホンダクロスロード(V8,4000cc) |
4輪駆動の技術を持たないホンダは、1990年初め、イギリスのローバー社を買収して、ディスカバリーを年間150台ホンダクロスロードと銘打って1993年10月から98年12月まで販売した。この4駆の技術を得て、CRV,オデッセイ、ステップワゴン等を次々に完成させた。その後、ローバーの株式はBMW社へ売却し、ローバー社から撤退した。この車が日本で、トヨタに次ぐ第2位の地位を築いた幻のクロスロードです。 |
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特別天然記念物秋芳洞の入り口にて
洞内には、この他に傘づくし、青天井、千畳敷、百枚皿、五百羅漢など数多くの見所があります。
洞内案内のレシーバーを耳に付け、首から機器をぶら下げています。 |
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大島紬の羽織に、大島紬の合せの着物で。
左は、高台寺にて
1606年秀吉の正室北の政所(ねね、出家して高台院)が秀吉の菩提を弔うため開創した
右は、モミジの永観堂にて
平安時代初期に、弘法大師の弟子真紹僧都により開創。現在は浄土宗 |
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七五三と宮参り
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孫の七五三
三つ縫紋のお召の羽織りに1つ紋の丹後ちりめんの色無地に仙台平の袴 |
七五三(5歳と3歳)遠石八幡宮にて |
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韓国旅行
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李氏朝鮮が遷都後の最初に建てた建物が、王宮の景福宮であった(ソウル) |
和服の上から着た為、お腹が出すぎたミン・ジョンホとなった。 |
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禅宗の梵魚寺4本の石柱に支えられている門。(釜山) |
新羅の王都慶州の仏像は、李氏朝鮮の廃仏政策により首を落とされている。 |
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