第10回 西 陣 夢 ま つ り

2004年

 西陣織は。5、6世紀のころ大陸から帰化した泰氏の一群が、太秦を根拠にして、新しい農耕技術ばかりでなく養蚕と絹織の技術を伝えた。
 第50代桓武天皇の平安遷都により、平安王朝の宮廷機織工業もこの伝統の上に花が開いた。
 室町時代、応仁の乱によって京都の町は兵火に焼かれた。戦乱が終わると、織工たちの一群は山名宗全の西軍の本陣跡である大宮あたりを中心に織機工業を再開した。これが西陣織と呼ばれるようになった。
 明治5年、佐倉常化らをフランス、オーストリアに留学させ、ジャガード、バッタンなどの新しい技術を導入した。
西陣夢まつり
西陣織会館前で 全国染織産地展 西陣織会館にて 21世紀西陣工房

夢まつりパレード


このパレードの目玉はなんといっても西陣織で使われ
る糸や道具などを使って作られた「糸人形」。
かつては西陣織の職人さんたちが余った糸や生地、
道具などを使って作られていたのですが、そういった
風習も時代と共に消えてしまいました。
「祭」の法被を着た子どもたちが元気よく糸人形を曳い
て、西陣界隈を練り歩きました
小学生が、西陣織の豪華な意匠・糸人形を押し立てて
天満宮まで賑やかにパレード
関西京都今村組も参加しパレードを 北野天満宮まで1時間かかって歩きました。

 "天神さん”の愛称で親しまれている北野天満宮は、学問の神様として有名な菅原道真公を祀っています。
 道真公は若くして宇多天皇の時に文章博士となり、醍醐天皇の御代には右大臣にまで進まれました。優れた政治家であり学者でもありましたが、あまりにも早い昇進を快く思わなかった左大臣藤原時平等によって降格され、901年九州太宰府に配流となり、2年後彼の地で死去しました。
 死後京都では、地震、洪水、雷火、洪水が度々発生し、さらには藤原時平一族に不慮の災難が起こった。これらは道真公のたたりだと都人の間で噂が広まり、ついに朝廷は947年現在地に道真公の霊をお祀りした。これが北野天満宮の始まりです。

北野天満宮での西陣きもの園遊会
上七軒の舞妓・芸妓さんたちによるお茶席

西陣工房拝見
西陣そぞろ歩き
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた 初秋
奥の細道
国東半島
秋の京都
秋の木曽路
第5回おとこの着物大全会