着物の格を記載している本を見ますが、素材についてはあまり細かく言うのは適当ではないと考えます。着物を着ることが、おしゃれで礼儀正しく受け止められる現代では、素材にこだわる事なく、着物で式典や会合に参加することが、礼儀正しい装いと思います。今では結婚披露宴にも、普段着で出席しても良いと思いますが、いかがでしょうか?結婚披露宴や謝恩会では大島や結城紬なら最高です。普段着を着て行きましょう。若い人は合繊や絣の着物で十分です。うるさいことを言わず、着物を着たことを褒めてあげましょう。和服にまさるおしゃれと礼儀は、洋装では出来ません。(披露宴の主賓で招かれた場合は、普段着では失礼かと思って準礼装にしております。) |
お雛祭りおひなまつりの由来は、約千年前、平安時代「ひいな」の遊びから発生したといわれ、日本独特の人形として雛人形が生まれました。女児の健やかな成長と幸せを祈る早春の祭りとして雛人形は江戸時代中期、町人文化の繁栄とともに大衆の間にも広がり、「ひなまつり」は日本の伝統行事の一つとして定着していきました。(詳細は) |
孫のひな祭にて、 |
紬の着物結城の羽織に、大島の着物で
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紬の着物に
大島の羽織りで |
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山 口 県 の お 雛 祭 り |
大島紬の着物に、大島紬の袖無し羽織りで |
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萩市青木周弼旧宅 |
柳井市酒倉”旭寿” |
柳井市むろやの園 |
柳川(福岡県)のさげもんと川下り |
水郷柳川の川下りを背景に |
城下町柳川の雛祭りは、雛壇よりも、部屋いっぱいに飾られ、春のやわらかな光の中にゆれている「さげもん」に目を奪われます。 |
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徳山医師会看護専門学校の謝恩会にて
1999年3月
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2000年3月
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2001年3月
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紬の着物に髭紬の羽織に仙台平の
馬上袴。 |
結城紬の着物に絞りの羽織、
仙台平の行灯袴。 |
大島紬の着物に、結城紬の羽織。
仙台平の馬上袴 |
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2002年看護学校謝恩会 |
看護学校謝恩会1998年3月教務と |
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大島紬の里(奄美大島)へ大島紬を着て行きました。詳細は
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ハイビスカスの咲き乱れる大島紬村
(パッチワークの奇麗な大島紬の袖無し羽織) |
左はあやまる岬より、コバルトブルーのサンゴ礁の海 |
泥田での泥染 |
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奄美夢おりの郷で購入した諭吉柄の大島紬 |
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紬の着物に大島の羽織で
門司港のレトロ、図書館前にて |
徳山市美術館前の桜並木。紬の着物に袖無し羽織
(女房がパッチワークをしました。)、野袴。 |
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萩城下町(山口県) 詳細は
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萩城跡 |
萩城下の土塀と夏蜜柑 |
初代内閣総理大臣伊藤博文が過ごした家 大島紬の着物に、大島の羽織りで |
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津和野詳細は
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上:津和野15時10分発SL山口号(C57)
中上:津和野河畔の桜並木の遊歩道にて
中下:白壁と掘割が続き、立派な門構えの武家屋敷、美術館、教会、資料館が並ぶ殿町
右:森鴎外旧宅の桜吹雪 |
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重源の郷(山口県徳地町)紬の着物に、袖無しの羽織(女房の作)、野袴で。重源上人(1121年〜1206年。13才の時醍醐寺に入って僧となる。1168年宗より栄西と共に帰る。1186年周防国を東大寺造営料国とし、国務をつかさどる。1195年東大寺大仏殿を徳地の材木にて建立する。1203年南大門を建立。)はここの木材を伐採し、奈良へ運び、この地の木材が東大寺の建立や仁王像に姿を変えて現存している。
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民家の縁にて一服 |
料亭”美濃吉”にて山女の塩焼きとセゴシ |
園内の小川と民家 |
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巌流島(下関市) 平成15年4月小次郎と武蔵の像が完成しました。
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佐々木小次郎と宮本武蔵が1612年4月13日に決闘した巌流島。左は下関、右は門司、正面は関門橋 |
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石見銀山(数年後にユネスコの世界遺産に登録されるかも知れません? 1309年大内弘幸によって発見され、17世紀には世界の銀産高の1/3を占めていた石見銀山は、大内、尼子、毛利の戦国大名の争奪戦の標的となっていた。1600年9月徳川家康は天領として江戸幕府の財政を支えた。1923年閉山となった。) 紬の着物に袖なし羽織(女房作)、単衣の長襦袢(今日は初夏の気温なので、急遽単衣に変更)に野袴で。
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大森代官所跡(石見銀山資料館) |
旧河島家(銀山付地役人役宅) |
店先にて |
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赤穂岬の大石内蔵助と |
坂越浦:赤穂の潮待ち、風待ちの港 詳細は |
天孫降臨の宮崎県日向市美々津を訪ねて |
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