大島紬の特徴は、1反が450gと軽く、そしてテーチ木(車輪梅シャリンバイ)染めと泥染の過程で糸は柔らかくなり暖かい。糸の表面を覆う薄い膜が、樹脂加工の役目を果たし外からの汚れを防ぐと共に、生地を燃えにくくしている。糸は人の手で何度も揉まれることにより、しなやかで皺になりにくく、雨に濡れても縮まない。また静電気がほとんど発生しないので裾さばきが良く、絹ずれの音が心地良い。これらはすべて奄美大島紬独特のテーチ木染めと泥染による不思議な力なのである。流行や年代にあまり左右されず、一生着られる。また一疋をご夫婦ペアで着る人も多い。その時代、その情景、その思い出が込められた物語を生む着物である。大島紬の種類や歴史等知らないことがまだ沢山あります。 憧れの大島紬の里、奄美大島へ3月21、22、23日に行きました。桜は1月に咲き終わり、5月中旬の気候でした。 大島紬の種類 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島紬の古典柄詳細はSotetuを 紬の柄は、奄美大島の美しい自然の形がそのまま取り入れられて来ました。草、樹、貝、花、蛇、海亀の甲羅、夜空の星など、、 男の代表的な絣模様は亀甲柄といえます。平安時代末ごろから有職紋様として盛んに用いられ、現代に至まで広く好まれています。
染めによる分類
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島紬見学 本場奄美大島紬泥染公園(大島紬を染める泥染め用の泥田を、プロの染織家が実際に使いながら保存している。
奄美サンサン王国夢おりの郷 大島紬の展示販売のほか製造工程も見学出来る。
大島紬村 15,000坪の広大な敷地内に点在している工房を巡りながら、80工程にも及ぶ大島紬の制作過程が見学出来る。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
瀬戸内海中公園
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マングローブ原生林ー住用川と役勝川とが合流する海水と淡水が交ざり合うデルタ地帯にマングローブの原生林が広がっている。
大島海浜公園 名瀬市の北西に突き出た岬の海岸は、日本の渚100選に選ばれた。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
西郷南洲謫居(たっきょ)跡 安政の大獄で奄美に流された西郷隆盛が3年間過ごした住居跡。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
奄美自然観察の森 (龍郷町の北部の長雲山系の天然広葉樹林)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
奄美パーク 奄美諸島の魅力を一同に集めた総合施設
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
あやまる岬 島の東端にある奄美大島を代表する景勝地、
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大島紬を着て行きましたが、奄美の人は誰も”大島ですね”とは言われませんでした。”亀甲ですね”と言われました。奄美大島では成人式には、男女(振り袖も)共に大島紬で作るそうです。”成人式に大島紬以外の着物は着ない”には驚きましたし、さすがは地場産業だと感心しました。 着物姿で行くと、製造工程も丁寧に教えてくれましたし、泥染も私一人の為に泥田に入り実演してくれました。大島紬の工房は沢山ありました。 でも工程が複雑で、十分は理解出来ませんでしたが、ぼんやりとは理解出来たと自己満足しております。また昭和40年代の栄華盛衰も肌で感じました。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
歴史 @奄美における養蚕の歴史は古く、奈良朝(西暦710〜793年)以前から手紡糸で褐色紬が作られていたようで、奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残されてる。 A9世紀の頃奄美は遣唐使の通路であり、その中継基地として中国大陸や南方地域との交流も深く当時の大陸文化や南島文化の交流地点として発展していたことが窺え、また朝廷への往来も頻繁におこなわれており、その際の貢物として褐色紬が献上されたものという説もある。 B慶長14年(1609)薩摩藩は奄美・琉球を攻略し、奄美諸島を琉球から分離して藩直轄の蔵入地とした。亨保5年(1720)薩摩藩が奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島の四島に対して「与人・横目・目指・筆子・掟までの役人には絹布着用を許すが、下の者には絹布着用を一切許さず」として「絹布着用禁止令」を出しています。これは大島紬が一般に普及していたことをしめすものと思われますし、現在だから私でも大島紬を自由に着れます。 C大正3年第一次世界大戦勃発時不況にみまわれるが回復し史上最高の好景気を迎え大島紬の黄金時代となる。 D昭和28年(1953)奄美諸島は日本へ復帰し、昭和30年(1955)商標を地球をデザインした証紙(通称地球印)も改めた。昭和30年(1955)合成染料染色の洗浄・色止め処理方法、先染絣の抜染加工法が開発されたことで、多色泥染大島・白大島・色大島など多様化がはかられた。 Eそして昭和40年代は大島紬ブームが起こり、増産が計られ、第2期黄金時代を迎えたが、以降衰退の一路辿っている。 大島紬協同組合 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第一礼装 準礼装 |
新春 | 春 ハウステンポス ひな祭り |
新緑 初夏 |
盛夏 晩夏 |
ゆかた | 秋 | 冬 |