李 氏 朝 鮮 |
室町時代 |
1420年 |
第1回朝鮮通信使 |
1429年 |
第2回朝鮮通信使 |
1443年 |
第3回朝鮮通信使、「海東諸国紀」を書いた申叔舟もいた。 |
安桃 |
1590年 |
第19代宗義智は外交僧玄蘇らと共に朝鮮からの使節を京都、聚楽第へ案内し、秀吉に面会させる。 |
1596年 |
宗義智は明、朝鮮からの使節を京都にまで案内し、豊臣秀吉に聚楽第で講和の話し合いをする。 |
江 戸 時 代 |
1600年 |
徳川家康は西軍に味方した対馬藩に、対馬安堵の条件として朝鮮との講和交渉を命じた。 |
1607年 |
第1回朝鮮回答兼刷還使の来日始まる。504人 |
1609年 |
慶長条約締結 |
1617年 |
第2回朝鮮回答兼刷還使。428人 |
1624年 |
第3回朝鮮回答兼刷還使。460人 |
1635年 |
柳川事件(国書改ざん)起こる。 |
1636年 |
第4回朝鮮通信使。478人 |
1643年 |
第4回朝鮮通信使477人 |
1655年 |
第6回朝鮮通信使。485人 |
1682年 |
第7回朝鮮通信使。473人 |
1689年 |
雨森芳洲対馬藩に儒臣として仕え、朝鮮外交に活躍する。 |
1703年 |
韓国訳官船鰐浦沖で遭難。112名全員死亡 |
1710年 |
実高2万石の宗氏が朝鮮貿易の利潤により10万石となる |
1711年 |
第8回朝鮮通信使。500人、雨森芳洲も随行した。白石の朝鮮使節の待遇改革 |
1719年 |
第9回朝鮮通信使。475人、雨森芳洲も随行した。製述官、申維翰シンユハンは海游録を記す。 |
1748年 |
第10回朝鮮通信使。475人 |
1764年 |
第11回朝鮮通信使。477人 |
1811年 |
第12回朝鮮通信使の江戸参礼を改め、聘礼式を厳原において宗氏が将軍に代って行う。328人 |