一宮とは、国中で第一の神社を言い、原則として1国1社である。
一宮の起源は,奈良時代に始まり、国司が任国に赴任したときなどに巡拝する神社の順番とされ、平安中期から鎌倉初期までに逐次整った制度である。それは由緒の深い神社、または信仰の篤い神社におのずから階級的序列が生じ、その首位にあるものが一宮と呼ばれ、二番目に参る神社を二宮、三番目を三宮と呼ばれるようになった。当時北海道と沖縄を除く日本の国土を66の国と壱岐、対馬を合わせて68州に区分されていた。中央の朝廷は、それぞれに国司を派遣して管理していた。 国司の政務に一宮は欠かせない存在であった。豊作が税の安定徴収に繋がるために、一宮では国司が参列して、五穀豊饒を願って雨乞いをし、収穫を感謝する祭りを行った。国の兵の能力を高める為の祭事、流鏑馬も一宮では頻繁に行われたし、国司は都の文化や芸能を国に伝える役割も果たしていた。例えば端午の節句や七夕の祝、能楽などの芸術を中央から地方にもたらした。今昔物語(998年)巻17に、周防国の一宮玉祖大明神のことが見えるのが文献上の初見だそうだ。
律令制度崩壊の後も、その地域の第一の神社として一宮などの名称は使われ続けた。そして時代によって一宮が変遷したり、同時期に二つ以上の神社が一宮を争っていたりした。例えば、筑前で住吉神社が衰えて筥崎宮がこれに代わった。
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