古事記には、『またそこから東へ向かって船を進め、浪速(淀川の河口か)の船着場を経て、白肩津という港に船を着けた。そのとき、トミノナガスネビコという者が軍隊を率き連れて、イワレビコノ命たちが来るのを待って戦った。ここで五瀬命はトミノナガスネビコの放った鋭い矢を手に受け、負傷された。そして”私は日の神の子孫であるのに、いま日に向かって戦ったが、それが間違いであった。それで卑しい奴の為に酷い目に合った。これからは紀伊半島を東に回って、日を後ろに負って敵を打つことにしよう”と誓って、南の方からお回りになろうとされた。そしてまた南に向って、紀の国の男之水門に至ったとき、五瀬命はお亡くなりになった。』と記載されている。浪速の港から上陸を試みたが、2男、3男を失い、長男は瀕死の重傷をおった。そこで和歌山から攻めることにした。 |