神代の昔、伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神は高天原に住む神々から国生みを命じられ、淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、最後に本州を誕生させ、その後夫婦神から天照大神、月読尊、素戔嗚尊が生まれた。
気の荒かった素戔嗚尊は父伊弉諾尊の怒りに触れ、遠い根の国へ追われることとなり、姉の天照大神に別れを告げに高天原へ赴くが、その時山河が鳴り響き大揺れしたために、天照大神は武装して素戔嗚尊を待ち受けた。素戔嗚尊は天照大神にいくら話しても疑いが解けないために、自分が男神を産めば潔白だとして,誓約を申し出た。
先ず、天照大神が素盞鳴尊の剣を噛み砕き、息を吹きかけると三柱の女神が生まれた。これが宗像三女神の誕生です。
田心姫神たごりひめのかみ:沖津宮 、湍津姫神たぎつひめのかみ:中津隅宮 市杵島姫神いちきしまひめのかみ:辺津宮に祀られている
次に、素盞鳴尊が天照大神の勾玉を噛み砕き、息を吹きかけると五柱の男神が生まれました。これで素盞鳴尊は晴れて身の潔白を証明したこととなる。
宗像氏は大和朝廷と連携のもと海外との交流をはかり、大化の改新後(645年)には、九州で唯一の神郡(しんぐん)となり、胸形君徳善(むなかたきみとくぜん)の娘、尼子娘(あまこのいらつめ)は、第40代
天武天皇の后となり、朝廷より特別の待遇を受けてきました。その後、国家による大規模な祭祀は、遣唐使廃止(894年)により終焉したが、宗像大神を国家鎮護の神とする信仰に陰りはありませんでした。
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