牛窓近郊 潮待ちの港 竹久夢二
閑谷学校
 日本のエーゲ海ー牛窓は2004年11月1日に牛窓町、邑久町、長船町が合併して瀬戸内市となった。牛窓の町から車で10分ほど離れた所に、竹久夢二の生家がある。20分ほど離れた所に現存する世界で最古の庶民の学校”閑谷(しずたに)学校”がある。近郊を散策しました。
                               竹久夢二(明治17年〜昭和9年)
    待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待ち草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬさうな
  大正から昭和にかけてこれ程愛唱された歌はないのではなかろうか。明治43年8月離婚したたまきと千葉県銚子へ旅行し、そこでお島と知り合ったが、翌年8月嫁に行かれてしまい失恋したときに、夢二の口をついて出た歌がこの宵待草で、明治45年6月雑誌に発表され、大正7年9月多忠亮によって作曲された。以後このメロディーは全国通津浦々に流れた。昭和4年西條八十がこれに第2節を付け加えた。
夢二の描く哀愁の女性たちは、”芸術家はもう沢山だ。一人ぐらい人間の悲哀を描く画家があっても良いと思う”という夢二の主張の中に伺える。
『彼の詩と絵の魅力は、普遍的で永遠の愛の形、それも庶民のやるせない吐息と共にある、純粋でいつわりのない愛の原型を明確に表現している点にある。それは、常に男心に住みついている情感であり、また女心そのものであった。愛とは期待とあきらめの間にかけられた虹の橋ではなかったか?彼は心中を自由に吐露した抒情詩人であり、作為のない情感の画家であった。』細野正信著竹久夢二より。
夢二は明治40年2月に平民新聞に十首の短歌を”幽冥路”の雅号で発表している。”幽冥路”は冥土への旅路を意味している。その1月には岸たまきと結婚したばかりの楽しい時期であるはずなのに、、、、社会主義思想の洗礼を共に受けた石川啄木は明治45年”働けど働けど 我が暮らし楽にならざり じっと手を見る”と、たじろかず貧困を正視した。一方、詩人幽冥路から画人夢二へと歩んで行く。どん底にいるほど夢は美しい。弱い者、働く者への同情と哀愁のハミングが彼の詩であり絵でもあった。



 漂白と抒情の画家であり詩人でもある竹久夢二は、明治17年邑久郡本庄村の造り酒屋に生まれ、16歳までこの地で過ごした。
 牛窓の海を愛した夢二ではあるが生家のわきにある、「花のお江戸じゃ夢二と呼ばれ、故郷に帰れば、へのへの茂次郎」という彼の言葉は、故郷に対する複雑な想いを表している。
 竹久夢二の女の着こなしは大正ロマンの憧れだ。
 紐は一本しか使ってないのでは?あるいは着た後、紐を抜いているのでは?
 あの着物を脱ぐ時、シュッシュと音がする度に着物がさらりと落ちてくる。追いかけるように長襦袢が滑り落ち、緋色の裾よけが現れる、、、、、、(着物姿から容易に想像が出来る。)
 
 ところが昨今ご推奨の着付けたるや、帯を解くと、謎の器具やタオルがボスっと落ちてくる。
 ゴム紐のついたクリップのようなものがカチャっと音を立てて落ち、着物が滑り落ちる。長襦袢を滑り落とすと、待ちかねたようにバスタオルや手ぬぐいがボタボタと落ちる。女の胸元を見ると、不恰好なブラジャーのようなものをつけて立っているのだった。
 100年の恋も醒めそうな惨状、、、女性の間でも、『絶対に男の前で着物を脱ぎたくない』とまで言われるのが、現実だ

 生家の隣の少年荘は、大正13年東京に建てられたアトリエ付住宅を昭和53年にここに復元したものです。少年山荘は夢二自ら設計を手掛けた初の持ち家で、中国の詩人、唐庚の詩”酔眠”から命名された。
 「恋多き画家」夢二の愛した美女は、いずれもほっそりと憂いを含み,絵の中の女性そのものであったと言われている。
 また黄八丈を着ると夢二の女になると云われている。
木場の娘(大正10年)
北方の女(大正10年)
黒船屋(大正8年) 少年山荘



閑谷学校
岡山藩主池田光政は1668年武士の子弟が学ぶ藩校を岡山市内に設けた。1670年庶民の学校、地方のリーダーを育てる学校として閑谷学校が作られた。江戸の昌平興と並び称されていた。”赤トンボ”の作詞者三木露風、倉敷紡績や大原美術館の創設者大原孫三郎等が学んだ。

中国の故宮を思わせる建物。
手前には幅7m,長さ100mの池が造られ橋がかけられている。
正門 建物の棟には鯱を乗せてある。正面奥には孔子を祀る聖廟がある

校地を取り巻く蒲鉾型の石塀は765m、石組は切込み剥ぎ式と呼ばれる
精巧なもの。塀の中には土を入れず小石のみなので草も生えない。
国宝の講堂 入母屋作り、備前焼きの瓦を乗せてある。

       講堂内部
10本の欅柱、床に至まで拭漆をかけ、儒学の殿堂に相応しい
壮麗さが漂う。四書五経などの講釈が行われた。

備前焼きの瓦に花頭窓を設けた美観 火除山 学舎や学寮からの出火による講堂、神社を火災から守る
潮待ちの港
釜山・対馬壱岐相島赤間関・中関・室積上関沖の家室津和地
蒲刈御手洗・鞆ノ浦・下津井・塩飽本島・牛窓赤穂室津兵庫津