|
|
2の鳥居
『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。
延喜式の社格は官幣大社 で、後に大和国一之宮となり、明治時代にはその由緒によって官幣大社となりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて |
|
一の鳥居:日本一高い。 |
|
|
|
|
|
|
|
鈴木宮司よりお話を伺った |
昭和天皇の御親拝を案内する藤田宮司の写真 昭和59年10月 |
拝殿国重要文化財。寛文4年(1664)徳川家綱公により再建。 |
|
|
|
|
|
正式参拝をして巫女による神楽と玉串礼拝 |
三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留めている神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ本殿にかわるものとして神聖視されてきた |
|
古事記には、美しい娘のもとに男が毎夜通うようになり、いつの間にか妊娠をした。両親は相手の男を知ろうとする。そこで娘に針に糸を通して男の衣の裾に刺させた。すると戸の鍵穴より通り出て、三和山に至りて神の社に留まっていた。
また日本書紀には、第7代孝霊天皇の娘は、大物主の妻になったが夫は昼には現れず、夜だけやってくる。皇女は昼間にあなたの美しい姿を見たいと言った。『吾は何時の櫛筒に居る。明るくなって櫛筒に入っている。願わくば?吾が形に驚くな』とのたまう。皇女が櫛筒を見ると美麗な子蛇あり。則ち驚き大声で叫ぶ、大恥をかかしたと人の形になり、去って行った。皇女は驚き慌てふためき座った拍子に箸でホトを突いて死んだ。 |
|