南海難波駅10時発特急「こうや」に9人が乗り、 極楽橋からケーブルカーで高野山へ、予約してあった高野山タクシーで一の橋霊園へ、12時45分から金剛峯寺のお坊さんによる開眼供養が行われた。
一の橋霊園 
戒名は:興徳院金剛遍照居士と清徳院慈観佳道姉師。 興徳院は、良興が徳山内科クリニック興した。父母も智徳院、恒徳院と徳があります。誉号は遍照(あまねく照らすこと、真言宗の根本からとったのであつかまし過ぎるかも)、戒名は良道、位号は居士です。
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| 1時間30分で極楽橋に着く。 |
不動坂口女人堂:高野7口のうちで女人堂が残っているのはここのみ 。明治の初めまで女人禁制でした。 |
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開眼供養までは白布で覆われていた |
| 大門:高野山の西の入り口の正門。5間3門の入母屋作り、慈尊院へ通じる町石道が紀ノ川へ下る。1668年に炎上し1705年に落慶した。仁王像は東大寺南大門に次ぐ日本で2番目に大きい |
五輪塔とは:五輪塔は、主に供養塔やお墓として使われる塔の一種で、平安時代後期に登場し、鎌倉時代以降に広く普及しました。五輪塔は、下から方形(地輪)、円形(水輪)、三角形(火輪)、半月形(風輪)、宝珠形(空輪)の5つの石を積み重ねた独特の形状が特徴です*。これらの形は、宇宙を構成する「地・水・火・風・空」の五大要素を表しています。 |
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| 佐賀県の天山の御影石です |
空、風、火、水、地を表した五輪塔 |
令和8年石川良興建立 |
興徳院遍照良道居士・清徳院慈観佳道大姉 |
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| 生前に墓を建てることを『寿陵』と言い、縁起が良く長生きすると言われている。 メリットは@後継者に負担をかけない。A自分の思い通りの戒名とお墓が出来る |
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金剛峯寺のお坊さんが来て供養を30分間してくれた |
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奥の院 
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| 織田信長墓所 |
芭蕉 |
安芸 浅野家 |
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| 豊臣家の墓 |
全て五輪塔 |
徳川家光が作った母お江の墓、高野山随一の大きな墓、 |
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一乗院
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| 位牌と過去帳:今後は墓を作らず、この位牌に入ればよいです。過去帳には、石川家は16世紀から続くが祖父母、両親のみにした、 |
説明の後、佐伯ご住職による阿字観体験も受けた。1人3千円 |
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| 精進料理 |
1泊1人16万円、9名では、、、最高の宿坊で最高の料理 |
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全員で 写経をした、裕美さんの写経 |
6時15分から勤行。供養をしてくれた。 |
高野山 
高野山は弘法大師(空海上人)が816年真言密教の根本道場として定められ、国の平和を祈り国民に安らかな生活への道を伝えるなど
崇高な目的をもって開創された。 |

三鈷翔の松: |

孔雀堂と ⇒孔雀明王(堂内は暗くてカメラでないと見れない) |
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| 西塔: |
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中門 |
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| 六角経蔵 |
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| 大塔:真言密教の根本道場、多宝塔様式の建造物としては日本初の物と言われています。内部には胎蔵界大日如来を中心とし、周囲に金剛界四仏、16本の柱に十六大菩薩、そして壁の四隅には密教を伝えた八祖像が描かれおり、堂内が立体曼荼羅となっています。度重なる落雷等で何度も焼けましたが、都度再建されており現在の塔は、1934年(昭和9年)に再建された |
金堂:高野山で最初に建てられた。 |
金剛峯寺の寺紋は2つ有ります。秀吉の五三の桐と羽生都比売神社の三頭右巴です。 |
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| 金剛峯寺;末寺は4,000カ寺、門徒宗は1千万人の総本山、 |
金剛界曼荼羅と 胎蔵界曼荼羅 |
ばん龍庭:5000坪のわが国最大の庭園、雲海の中で雌雄の龍が守っている |
| 昼食は角濱ごまどうふ総本舗で【かどはま五彩】を注文 |
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南海 天空 
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| 14時58分極楽橋発〜難波16時28分着 4両編成2号車はラウンジ 座席は1,2,4号車 優雅な4号車は4シートあり、1シートは2〜4名定員、本日は我が家9名以外に2名 計11名、 |
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アフタヌーンテイ |
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第一宗教
1.世界の宗教は信者の多い順に、1キリスト 2マホメット教 3ヒンズー教 4仏教
仏教の宗派は真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、浄土真宗、浄土宗、日蓮宗です。
真言宗と天台宗は密教と呼ばれ、昔は貴族の仏教でした。禅宗は武士、日蓮宗は商工業者、浄土宗浄土真宗は農民の仏教でした。
仏教は紀元前500年ごろインドの仏陀が悟りを開き広めたと言われている。日本には538年百済の聖名王が伝えたと言われています。
鳩摩羅什(くまらじゅう)と玄奘三蔵が中国に持ち帰って、玄奘三蔵がサンスクリット語の経典を漢文に訳した。
794年平安京遷都、805年空海と最澄が遣唐使として渡り、空海は 阿闍梨 の称号を受け、高野山を開祖する。
石川家は1500年末から続く真言宗の家系です。
第2戒名とは、仏様の弟子になった証として授けられる名前のことです。江戸時代以前には、主に貴族や武士など、限られた階層の人々が授かるものでした。江戸時代に寺請制度の導入によって、庶民の間にも広く普及になったのです。仏教では、亡くなった方は仏様の弟子となり、仏様の教え(戒律)を守り、修行の道を歩むことで、悟りを開き、安らかな仏の世界(浄土)へ往生すると考えられています。
戒名(浄土真宗以外の仏教)には、故人の生前の人となりや功績、信仰の深さなどが反映されます。特に「院号」は、社会や寺院への貢献度、あるいはその人の生き方や特技などが考慮されて付けられます。これにより、戒名は故人を偲ぶ上での大切な手がかりともなり得ます。
戒名の構成
@
曹洞宗・臨済宗・天台宗・真言宗など。8〜9字 ○○○○信士 ○○○○信女
A
浄土真宗系 お釈迦様の弟子として法名をつける。釋○○ 釋尼○ 5または6字
B
浄土宗 ○誉○○信士 ○誉○○信女
C
日蓮宗 「日」や「妙」を含む法号をつける ○○日○信士 ○○日○信女
信士・信女の部分が居士・大姉に付け加えられる場合は、もともとは特に仏教に精通していた人に付けられていたものが、現在は寺院への貢献度によって付けられていることが多いようです。
@・B・Cの場合、○○○○居士 ○○○○大姉 院号も付く場合は○○院○○○○居士 ○○院○○○○大姉
この「院」とは、もともとは天皇の退位後の住まいのことで、平安時代の嵯峨天皇が上皇となった後、「嵯峨院」と称するようになったのが始まりとされています。初めは天皇だけに許されていた院号ですが、のちに公家や武士なども広く使用するようになりました。かつては、生前に寺院を建立する程貢献した人、相当の地位や身分の功労者だけが院号を授かっていましたが、現在では、お寺や宗派、または社会的に大きな貢献をした人も、授かることができるようになりました。
・ ですから、院号は必ずしも誰でもが授かるものではないのです。通常、ご先祖に「院」がついていたら、それに合わせて「院号」を授かります。
・ 真言宗の戒名には梵字が使われており、梵字・院号・誉号・戒名・位号の構成で付けられる場合が多いです。
・ 真言宗の戒名には4段階あります。「信士・信女」が30〜50万円、「居士・大姉」が50〜70万円、
「院信士・院信女」が80万円前後、「院居士・院大姉」が100万円前後です。
家族が死亡すると、24時間後の火葬が可能です。葬儀までに戒名を決めねばなりません、院号をもらうためには父母、祖父母の戒名、死者のお寺や社会貢献度が判断されて、院居士の戒名がつけられます。
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戒 名
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死亡日
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智徳院福壽妙麗大師
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母
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一子
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2017年3月31日
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103
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恒徳院法順正覚居士
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父
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典正
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1990年1月10日
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77
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篤厚院福寿妙恵大姉
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祖母
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フクエ
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1985年8月5日
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92
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篤善院慈学浄行居士
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祖父
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篤之進
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1967年8月22日
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80
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第3お墓について
1お墓の種類は
@合葬墓、建墓不要で継承者も不要です。墓じまいも要らない。
A永年墓、子孫や継承者を必要としないお墓です。
墓地に墓石を建立し、建墓から50年後に合葬墓へ改葬する
B永代墓、ご子孫等の継承者に代々引き継いでいくお墓。
墓地に墓石を建立し、使用者が亡くなったときは、相続人または親族の一人が使用権を継承して、代々家族で引き継いでゆくみんなの墓。
しかし
日本全国で仏を信じる人が減少し、お寺へのお布施、寄進は減少し、墓じまいする人が億、お寺の閉鎖が増えています。

阿息観:吐く息、吸う息に、ひたすら命の根源であるあの声を唱えて天地と呼吸を通わせ、あの声と一つになって宇宙との一体感を得る瞑想法です |
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胡麻豆腐 濱田屋 |
2025年11月戒名をもらった閼伽井坊の三池ご住職 |
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