秘境祖谷へ
善通寺・金毘羅箸倉寺・阿波池田大歩危小歩危を経て
日本三大秘境、白川郷(岐阜県)五家荘(熊本県)祖谷(徳島県)と言われている。約800年前、平家の落人が隠れ住んだという祖谷地方は、厳しい自然に守られ、数々の伝承に伝えられており、今なお秘境の雰囲気を色濃く残している。10年前に訪れた時と比べて、公共事業の数々が施工され急速に俗化されているのが、残念であった。紬の着物に、野袴、トンビの姿で、瀬戸中央自動車道で瀬戸大橋を渡り、国道32号線で善通寺、金刀比羅、箸l蔵寺、阿波池田、大歩危小歩危を通り、祖谷へ出掛けました。
四国、讃岐への第一歩。瀬戸中央自動車道与島サービスエリアにて
 噛むとしっとした確かな歯ごたえがあり、舌ざわりがつるつるしている。さらに噛む毎に、ほのかな小麦の香りが感じられる。そして煮干しだしのうまい味。
瀬戸内海の真中、与島は香川県、向こうには讃岐富士が見える まずは、さぬきうどんを食べなくては
第75番善通寺弘法大師生誕の地。
唐から帰国した弘法大師が先祖の菩提を弔うために建てた四国最大の寺。
               南無大師遍照金剛

金刀比羅詣で
金毘羅大芝居(旧金丸座)
1835年建築の日本最古芝居小屋の玄関で。 毎年春に半月上演される。        地下の廻り舞台を動かす
金刀比羅表参道 海の神様、五穀豊穣、商売繁盛に御利益ありとして、全国からの参拝者が後を絶たない。
名物”灸まん” お灸の型をした饅頭 午前8時の参道、
日中は写真が撮れないほどの人出で賑わう表参道
築400年の老舗旅館を改造した”虎屋うどん”
金刀比羅宮へ
旭社
1837年建立、高さ18m,縦横共に18mの壮大な建物で完成まで40年を要したと云われている。
厳かな佇まいは、信仰の深さと歴史を感じさせられる。


日の出(7時15分)前に本殿へ到着、
朝もやに煙る讃岐富士と讃岐平野
急な785段石段を30分余りで御本宮にたどり着く。

御本宮桧皮葺の荘厳な社殿

讃岐の酒”金陵”の醸造元 さぬきうどん作りに挑戦.
たすきがなく、女房の帯締めで代用する
箸蔵寺(徳島県)
828年に弘法大師が7堂伽藍を建立した真言宗の寺
弘法大師像と 600mの山頂にあり、階段がきつい
阿波池田  池田町は、幕末から明治にかけて煙草産業で栄えた町。
池田煙草資料館  
 コロンブスは1492年アメリカ大陸、梅毒、煙草の3大発見をした。梅毒はわずか20年で喜望峰を回りインド経由で日本に伝搬された。煙草は数十年後の16世紀後半には伝わってきたと云われている。農耕に恵まれない池田町では、米の年貢の代りに煙草の栽培が盛んであった。池田のきざみ煙草は、大阪へ出荷され、後に北前船で日本海沿い、北海道まで運ばれていった。しかし平成2年JT池田工場は閉鎖され,たばこ産業は衰退した。


←立派なうだつ
煙草製造業者がうだつを上げた重厚な屋敷を構えた町並みが残っており、そのうちの一つ。

            手に持っているのが煙草の葉。これがきざみ煙草になる。↑
大歩危小歩危
”大股で歩いても危ない”、”小股で歩いても危ない”ことから大歩危、小歩危と付られた。
白褐色の奇岩と深い谷が人を寄せ付けない。コタツの入った船で、吉野川の川下り。1kmを30分で往復する
祖谷渓谷
小便小僧
祖谷渓谷の七曲の断崖の突き出した岩の上に立つ、小便小僧。
昔、旅人がここに立って度胸試しをしたという。



祖谷渓谷と四国山脈

歴史民族資料館平家屋敷
先祖は安徳帝の御典医として1180年前後に宮中に仕えていたが、平家の都落ちの折、屋島に逃げ延び、平家滅亡後は、残党と共に祖谷に入山した。
山野の薬草を採集して、医業を行い、神官も兼ねていたという。
家の庭には樹齢800年の樹木が茂っている。 屋内には平家由来の宝物や資料が展示されている。
囲炉裏には火が燃やされており、情緒が漂う。
祖谷秘境の湯での食事

祖谷そば
↑でこまわし
 じゃがいも、コンニャク、豆腐などを串に刺し、炭火で焼いたのが、祖谷名物でこまわし。
 ユズと味噌がさっぱりとして味わいを添える。
囲炉裏風での夕食
アマゴ(天魚)の塩焼きは脂がのり美味しい。猪鍋。

かずら橋


平家の落人が、追っ手を絶つために架けたのが始まりと言われ、国の重要文化財に指定されている。高さ14m,長さ45m、野生のかずらで安打吊り橋。歩くたびに、揺れてスリル満点です。
 祖谷渓には、13あったといわれるが、現存するのはこの橋と、奥祖谷の「二重かずら橋」の二つだけという。

琵琶の滝
その昔、平家の落人たちが都での倉氏を偲んで琵琶を弾いて心を慰めたという伝説がある50mの滝。
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた 初秋
初冬