四国遍路No3 66番札所雲辺寺から88番大窪寺
 80歳を過ぎ、同級生の訃報を聞くようになりました。今日まで多くの方々に助けられて、健康で満足な人生が過ごせたことに感謝をして、四国遍路に行くことを計画しました。弘法大師の修行の足跡をたどる旅が『同行二人』と言われるお遍路の旅です。空と海に導かれ、自然と触れ合い、心して手を合わせてお経を唱える八十八ヶ所巡拝の旅は私たちの疲れた心を癒し、感動を与えてくれる信仰の旅です。
 四国四県1周すると1400Km、前回八十八ヶ所の内徳島県の第1番札所霊山寺から高知県を周り、愛媛県の43番札所明石寺まで6泊7日で巡拝しました。四国霊場公認先達資格を有する徳野ドライバーさん(歴史、建築、人類学、文学、日本哲学に精通した経験豊かな「先達」と呼ばれるガイド)に同行をお願いしました。多くのことを懇切丁寧に教えてくれました。今回は44番大宝寺から香川県の88番大窪寺まで6泊7日で巡りました。
四国八十八ヶ所霊場は、弘法大師が42才の厄年を迎えた年に、自分自身と人びとの厄難を除くために開創したと伝えられている。四国を霊場と定めたのは、大師の出身地でありゆかりが深いから、、、。
八十八の数については、八十八の煩悩を消滅させ、八十八の功徳を成就させる意とされてる。人びとが四国遍路を始めたのは室町時代からだと言われている。
 四国遍路は弘法大師と共に心身を鍛え、八十八の煩悩を消滅させ、仏様からの悟りを得る「同行二人」の旅である。年間15〜20万人が巡礼している。
涅槃の道場香川県66雲辺寺〜88番大窪寺 
 66.雲辺寺 911m四国霊場の中一番の高所、素晴らしい眺め。四国遍路全行程の最高峰であり、四国浄土がいかに広大であるかを知ることができる 
 ロープウエイで、左正面にいりこの伊吹島 、正面に観音寺市、右には荘内半島と瀬戸内海の雄大な景色が見られる 気温14℃、ここが香川と徳島県堺
 鎌倉時代には四国高野と呼ばれ7堂伽藍や12坊、末寺八カ寺を持っていた。  799年大師が堂宇を建立し、807年嵯峨天皇の勅願により大師が再度訪れて千手観音を刻み本尊とした。  阿波の蜂須賀家の庇護のもと発展した
 67.大興寺    
 822年嵯峨天皇の勅により再興されたが、長宗我部元親の兵火により焼失し、1600年ころ再建された。仁王門の金剛力士像は運慶の作と言われて、その迫力は四国一。  94段の参道意義には大師お手植えとされる楠と榧の大木がある  その昔は東大寺の末寺で、真言24坊と天台12坊を持ち二宗派修行道場であった
68.神恵院じんねいん 琴弾山58mの中腹に、一つの境内に二カ寺がある   
 
 山門には『六十八・六十九番霊場、七宝山神恵院観音寺』の看板  納札、納経所も二カ寺同じ  
 69.観音寺    
 
 山頂からは有明浜の砂で作った『寛永通宝』周囲345mが見られる  元来六十八番札所は琴弾八幡宮であり、神恵院は八幡宮の別当であった、 神仏分離にて阿弥陀如来画像を神恵院に移し、六十八番札所とした
 70.本山寺    
 
 八脚門と呼ばれる仁王門  本堂は1300年建立、 香川県内で唯一の国宝建築物  
 四国霊場の内、五重塔があるのは、
ここ本山寺、善通寺、志度寺と土佐の竹林寺
の四カ寺のみ

807年平城天皇の勅願により弘法大師が創建した。
当時は寺領二千石を持ち,七堂伽藍二十四坊の四国有数の大寺であった。
 71.弥谷寺 死者の霊がゆく寺。かってはこの地方で死者が出ると、身寄りの人が死霊を背負ってこの寺に登り帰りには一目散に下山する習わしがあった。
          恐山、臼杵の石仏と共に日本三か所の死霊の寺とも言われている  
 
 三百段ほどの石段を登ると霊場としての強い雰囲気が感じれれる。  本堂  標高382m からは四国中国の八カ国が望める
 
 石段の両側には苔むした石仏や石積みの賽の河原などがあり霊山
の気配を感じる。
 さらに石段を登ると太師堂にやっとたどり着く  大師堂の内部
 72.曼荼羅まんだら寺    
 
 595年讃岐多度津郡の国司佐伯家の氏寺として建てられた。    
 
 807年唐から帰った空海は唐の青龍寺を模した堂塔を建てた 本尊は大日如来、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の両曼荼羅を安置して供養した。  両界曼荼羅にちなんで曼荼羅寺と改めた
 73.出釈迦寺弘法大師修行の聖地五岳の山麓にある。  捨て身嶽遥拝所が有名
 
     
  74.甲山寺大師生誕の地に近く、真魚(まお)と呼ばれていた幼少の頃の逸話が多い  
 
 
大師7歳の時この山頂から『私は仏門に入り多くの人々を救いたい、この願いが叶うなら釈迦如来よ現れたまえ、もし願いが叶わぬならこの身を諸仏、菩薩に捧げる』と言って断崖から身を投げ出した。  月光菩薩の左手に持った月から飛び出した兎。 讃岐名物 打ち込みうどん
 75.善通寺:空海(774〜835)はここ善通寺で生まれた。父佐伯善通の名前より命名した。長安の青龍寺を模して、807年から6年を掛けて造られた。  高野山、東寺とともに3大霊場
 
   60万u、30以上の堂塔が建つ    南大門  本堂  五重塔は88ヶ所の内、竹林寺、弥谷寺、志度寺、善通寺の4カ寺の)
 
大師堂 御影堂の 地下には戒壇巡りがある。真っ暗な中で自己を見つめなおし、お大師さまと結縁出来る道場。  御影堂の中
 76.金蔵寺    
     
 鎌倉様式の9軒4面の本堂  『乃木将軍妻返しの松』がある。乃木希典将軍は明治1年善通寺第11師団長に着任し2年余り当寺の客殿を宿舎としていた。ある日東京から静子夫人が訪ねてきたが、逢わずに追い返した、 
 77.道隆寺    
 
 大きな仁王門をくぐると正面に本堂、本尊は目なおし薬師如来  参道には、有名寺院の観音菩薩が256体優しい顔で迎えてくれる。  
78.郷照寺 香川県で唯一の時宗の寺 真言宗以外の寺は、天台宗が4ケ寺、禅宗が3ケ寺。  
 725年行基菩薩により開創され、807年大師が霊地とした  石段を登ると大師堂に  かってはここが四国の玄関口であった。宇多津の街並みが見渡せる。
 79.天皇寺1156年保元の乱でに敗れた崇徳上皇は讃岐の国に流され,、当寺に住まいし、44才で崩御した。荼毘に伏して白峰御陵として残っている。  
 白峰宮の一角にある。真っ赤な鳥居をくぐり、境内奥に天皇寺がある  本堂  大師堂
 80.國分寺聖武天皇は諸国に国分寺を建立することを命じた    
 九軒  金堂跡の大きな礎石32個、七重の塔跡15の礎石が並んでいる。  全国でも有数の国分寺を推測される。
 81.白峰寺 寺の境内は俗塵を払い,幽玄を保っている 。 保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇は、都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられ、御遺詔によって当山稚児嶽上に荼毘し、御陵が営まれました。しかし都では異変が相次いだため、代々の天皇、公卿、武将も恐れ崇め奉り、荘園を寄進して菩提を弔い、或は法楽、詩歌、種々の霊器宝物を奉納して慰霊を尽した

境内には四国で唯一の天皇の墓所である白峯陵が隣接している
霊峰の五色台には青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の五峯の山があり、その最も西よりの白峯山にある。  山門は七つの棟を持つ塀重門で、高麗門形式である。  九十二段の石段を登ると本堂、
     
 82.根香寺ねごろじ:奈良時代の仏教は鎮護国家を目標としていたが、平安時代の仏教は、祈りやまじないで実現する不思議な力を得ようと苦しい修行をすることを重んじる山岳仏教になる。 
 山門をくぐると、下りの石段、その後長い石段、両側には木々が生い茂っている。人里離れた山中にお寺を建て修行の場とした。
 かっては99の僧房があった  昔、青峰山には人間を食べる怪獣、牛鬼が棲んでいた。牛鬼の角を切り寺に奉納。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている。  
 83.一宮寺:708〜714年諸国に一宮が建てられた。    
     岸信介元総理の般若心経
 84屋島:弘法大師の数々の伝説を残し、源平合戦の史跡となっている。  
 山門をくぐり、さらに阿波蜂須賀家寄進の四天王門をくぐる  本堂  大師堂
754年唐から来朝した 鑑真和上は、屋島沖で山頂から随行が立つのを見て、」ここに普賢堂を建てた。」    高松市内と屋島
 85.八栗寺:大師が中国に渡る前、その成果を占うために、植えおいた焼き栗8つが、帰国後成長して茂っていた因縁で八栗寺と名づけた。  
 標高375mの五剣山、宝永3年の大地震で東の第一峰中腹より崩れた、麓は源平の古戦場である。 ケーブルカーで簡単に登れる  300mで山門に着く三間一戸入母屋造り瓦葺の建物、
天部の「持国天」と「多聞天」が祀られています。
 屋根や幕には高松藩松平家の「葵の紋」が入っています  
 86.志度寺  
   
 単層のどっしりとした山門は三つ棟木という珍しい作りで日本三大名門    
無染庭は、海女の玉取り伝説の情景を七個の石と苔むした岩、そして庭一面に敷き詰めた白砂で表現している。   昭和50年に完成した33mの五重の塔が聳え立つ  平賀源内の墓
 87.長尾寺    
 仁王門は鐘楼をかねている。  1681年に宗派を真言宗から天台宗に変えた。  屋根の宝珠が一段と高い大師堂
 88.大窪寺:1440Kmをひたすら光明を求めて歩いてきた遍路にとってここは結願の寺。 ああ遥かにも来つるものかな ありがたきかなの感慨がこみ上げてくる
 海抜787mの山奥にある二天門  本堂、背後には岩山  
 大師堂の横には巡礼を終えた遍路が奉納したおびただしい金剛杖や菅笠が置かれている。2千円で護摩供養の時に炎の中に投じられる。  藤やつつじの花が奇麗に咲いている。  門前には食堂や土産物店がある。今日も最後のうどんを食べた。
四国遍路が終わると、また巡り、始まりに戻る。しかし、次回の巡礼を考えるとき、1から新たに繰り返すといったものではない。むしろ階層を深めていく。そして、もう一度廻ることで、感謝、理解、自己認識、そして最も重要な感謝がより深まるのだ。
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた 初秋
初冬