沖  縄
 寒さを避けて沖縄へ行きました。2月初旬でも気温16度暖かい、暖房も不要。レンタカーを借りて廻りました。
 はるか15〜16世紀ごろ、琉球は、中国、朝鮮、東南アジア諸国と貿易し大交易時代がくりひろげられていました。その貢易によって琉球の染織物は、外来文化の影響を吸収しながら、独自の織物へと発展 してきました。 島に自生する糸の原料である芭蕉や苧麻、さらに亜熱帯の気候風土に恵まれた植物染料の豊かさは多種多彩の染織物を生み出す要素にりました。養蚕など活発に技術、技法を積極的に取り込んでは創意工夫を繰り返し、すばらしい染織の技術を確立してきました。
 1690年に薩摩藩の琉球侵略で人頭税が導入されました。琉球王府が発行した御絵図帳の図案を基に色、形とも忠実に織ることを命じられ、沖縄本島各地域、宮古、八重山、久米島の民に米や粟の換わりに布を納めさせられ、250年間、人々は過酷な人頭税の苦しみを強いられてきました。また、その苦労や努力が高度な技術に反映され、現在の染織物の基盤を築いたことも事実です。 
 現在も、芭蕉布(壁紙は芭蕉布)、読谷山花織、琉球花型(びんがた)、首里織、琉球絣、久米島紬、宮古八重山上布など多くの織物があります。琉球の染織
首里城琉球王国の栄華を誇る世界遺産。
     守礼之門
1527〜1555年の創建、門に掲げられている額には『守礼之邦』と書かれている。『琉球国は礼を重んじる国である』と言う意味。
      ↑”漏刻門ろうこくもん”にて門番と    
←”瑞泉門ずいせんもん”
園比屋武御獄石門
王の安全祈願をした拝所

東西40m,南北44mの御庭と正殿。4回の焼失再建を繰り返しており、現在の建物は1992年に復元された。
中国の紫禁城をがモデルと言われている。
正殿内部の御差床(国王が座る玉座)にて
玉陵
1501年に建てられた王の墓で、墓は3つに分かれており、中室は洗骨前の遺骨を安置する部屋、東室は王と王妃、西室は限られた家族が葬られている。 ガジュマロの木

琉球花型(りゅうきゅうびんがた)
琉球絣の里(南風原町)

琉球絣の90%を生産している南風原町へ行くも日曜日のために、絣会館や琉球かすりの里も休館。残念
首里琉染にて、紅型染の絵付けと出来上がった反物。
琉球びんがたは、沖縄の自然豊かな色彩を表現するかのように鮮やかで美しい染物である。起源は明確にされてはいないが14〜15世紀頃の海外貿易により中国、インド、ジャワの更紗(さらさ)等から染色技術が伝えられたといわれている。
琉球びんがたは、王朝時代、王家や士族の礼服であった。王家の衣装は黄色、貴族は水色と色や模様の大きさで身分に応じて区別され、一般庶民には、長寿の祝い着としてのみ着用が許されていた。
識名園琉球王家最大の別荘。大戦で壊滅的な破壊を受けたが1975年に再建された。
赤瓦屋根の御殿 回遊式庭園。池に浮かぶ中国風あずまやの6角堂

おきなわワールド
2月初旬というのにハイビスカスを初め春の花が咲き誇っている。 高床式倉庫


エイサー演舞
琉球舞踊と琉球料理四つ竹
泡盛、焼酎、酒どう違うのでしょうか?
材料は黒麹菌、米はタイ国産、醸造と違って蒸留酒
       琉球舞踊を見ながらの、泡盛と琉球料理         泡盛は何と43度

豚足
中央はラフテー(豚の3枚肉を泡盛で長時間炊いて醤油で味付したもの)
料理
琉球そば(豚肉煮が入っている) ぶくぶく茶 ゴーヤチャープル(炒め物)
次回は北部沖縄。芭蕉布、花織などを見学してみたいと思っております。乞うご期待!!
第一礼装 準礼装 新春 新緑
初夏
盛夏
晩夏
ゆかた 初秋
初冬