ネパールの旅 アンナプリナ・エベレスト |
この度阪急交通トラピクス社の日本航空チャーター便を利用してエベレスト&チトワン国立公園ネパール7日間の旅に参加した。入国には観光ビザが必要。ネパールには国際空港はカトマンズのトリブヴァン空港唯一である。日本からの直通便は無く、タイのバンコックかインドのデリー空港か、シンガポールなどを経由することになる。往路は直行で7時間50分、帰りはバンコック空港経由で11時間10分かかって広島へ帰った。面積14.7万Ku北海道の1.8倍、緯度は沖縄と同じ、人口2649万人、1ルピーが1円であった。宗教は仏教とヒンズー教が混在して癒合されている。9月後半から5月は乾期であった。挨拶は両手を胸の前に当てて”ナマステ”という。 |
JALは14時25分広島空港を離陸した。上海上空、重慶の南を通過し、ノンストップでネパールの首都カトマンズまで7時間30分の飛行、20時10分(時差-3時間15分)に着陸した。滑走路は1本のみで離着陸には時間がかかる。 トリブバン空港は周囲を高い山に囲まれているため又霧が発生することが多く、その上に滑走路は短く、またALSがなく目視による為に離着陸が難しい空港だと言われている。現に1992年7月31日にタイ国際航空311便墜落事故(死者113名)と9月28日パキスタン航空268便墜落事故(死者167名)と着陸失敗による墜落事故が続けて2件発生した。1〜2時間の遅延や欠航は日常茶飯事である。 |
翌日、第2日目は4時30分起床、5時食事、5時50分トランク を持ってホテル出発、 この殺風景な待合室。 |
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6時50分Budda AIRは離陸した。 | 横4席の飛行機だが窓際に左右1人づつ18名しか乗せない。このように快晴なのにエベレストなど8000m級の山々は雲の中で見えず。40分の遊覧飛行で帰還した。再度無料で飛行できるとのことで納得する。 同グループの4名は後の飛行機に乗るが、、ランウエイまで行くも、飛行せず。 |
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カトマンズからパラトプルへ 飛行機でカトマンズから25分ポカラからも25分。ネパールの人と物資が出会う交通の要衝である。 |
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9時45分発ポカラ行きの双発機Budda Airで30分の飛行(バスだと5〜6時間かかるそう) |
美しいヒマラヤの山々を見ながら、30分で | ポカラのブハラプチャー空港に着く |
荷物は飛行機から手で降ろして、懐かしいリアカーで運ぶ。ここが空港待合室。ターンテーブルなどない。戦後の日本だ |
空港の待合室、奥は管制塔。 | |
バスには冷房はなく扇風機がある。トランクは埃まみれになる。 | ガタガタ道を走ること1時間30分。チトワンのホテルタイガーランドサファリ―に着く 部屋のベランダーからの中庭 | |
チトワン国立公園はユネスコの世界遺産に1984年に指定された。タライ平原の中央に位置するかっては王家の狩猟場であった。熱帯雨林や沼地が残っている。 |
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像に乗ってジャングルサファリ―に | 象にリンゴをやると食べる。紙幣をやると鼻で受け取り像使いに渡す。 | サイがいた。ワニもベンガル虎、ヒョウ、鹿、猿もいる。 |
タル―族の村へ |
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牛車でタル―族の村を訪問する。 |
土壁の家 | 手で汲む井戸水、まるで日本の戦後だ |
ホテルの中庭では、タル―族の民族舞踊が行われた。私も一緒に踊る。 |
パラトプルからポカラへ
カトマンズから西へ約200km、ネパール中央部に位置する「ポカラ」。昔から交通の要所としても栄え、現在も8000m級のヒマラヤの山々をいつでも眺められる街として、多くの人が訪れる。
ジーゼル車の排気ガスの酷さ。 |
車の関税は240%。日本車やドイツ車は皆無。 インドのタタ車とインド製のスズキ車が多い。 |
パラドール空港 | |||||||||||||||||||
X線検査機器がないために、全員のトランク、スーツケースを開けて検査する | 歩いて飛行機に搭乗する | 天候が悪く、ヒマラヤの山々は雲の中 | |||||||||||||||||||
ポカラの町 | 荷物はリアカーで運ぶ | カトマンズから200Km標高800mにあるポカラ空港: | |||||||||||||||||||
自転車とバイク | 赤色系の衣服が多い | 新婚旅行? | |||||||||||||||||||
フエワ湖 |
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フエワ湖でボートに乗る。櫓は1本で交互に漕ぐ。伝馬船の技術はない。 ホテルでもらった歓迎の黄色の布カダ(礼儀のしるしだそう)をしている |
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ヒンドウバシ寺院:ドウルガーが祀られている。 門前の店ではお供えグッズが売られている。 毎朝生贄の鶏や山羊などの首がはねられる |
デビッズフォール:フエワ湖の水が地中に吸い込まれ、岩壁の穴から滝となって流れ落ちている。今は乾期で水量は少ない。 | ||||||||||||||||||||
サランコットの丘へのハイキング:標高1113m |
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サランコットの丘からの夕日に染まるアンナプルナ南7219m | マチャプチャレ6993mが顔を出した。 | 三日月が綺麗 | |||||||||||||||||||
第4日目今朝は五時30分起床、6時30分ホテル屋上からのヒマラヤ |
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アンナプルナサウス7219m とアンナプルナ1 8091m | マチャプチャレ6993m | アンナプルナW7525m、アンナプルナU7937m、ラムムジュン6986m | |||||||||||||||||||
アンナプルナへの遊覧飛行 |
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ポカラ空港からヒマラヤ遊覧へ昨日は欠航!今日は無風、快晴だ、 | 4列に窓側にのみ乗り込む | アンナプルナサウス7219m とアンナプルナ1 8091mと マチャプチャレ6993m |
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マチャプチャレ6993mとアンナプルナV7555m | アンナプルナV7555m | アンナプルナW7525mと アンナプルナU7937m | |||||||||||||||||||
操縦室から見るヒマラヤ山脈 | アンナプルナW7525mと アンナプルナU7937mに近ずく | ||||||||||||||||||||
マチャプチャレ6993m | マチャプチャレ6993m | 1時間の遊覧で、ポカラ空港に無事着陸 | |||||||||||||||||||
トウラコットハイキング |
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ワールドピースパコダ 第5日目今日も4時50分起床、懐中電灯をもって1時間、標高差350mのへのハイキングで標高1,113mの山頂に着いた。
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食 事 質素で不味い料理だった。 |
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ヒマラヤそば:長野県戸隠れ村で修行をしたというネパール人 |
チベット鍋:ギャコック(スープに野菜豆腐、春雨、肉を入れて煮込んだもの) | 水牛の肉は硬くて脂身がなく不味い | |||||||||||||||||||
イタリアンレストラン |
ピザはまあまあ。肉は食べれない | モモ:蒸したチベット餃子 |
ポカラから空路30分でカトマンズへ。 バスで世界遺産のパタンへ パタンとは『美しい都』というサンスクリット語である。カトマンズ盆地にマッラ3王国があった時代にパタンマッラの首都として栄えた古都。町の外側の四方には紀元3世紀にアショカ王が建てたとされるストウバーが残っている。 マッラ王国は1200年にバクダプルに建国され、1484年バクダプルマッラからカトマンズマッラが分裂し、1619年にはカトマンズマッラからパタンマッラ朝が分裂した。
バグダプル 首都カトマンズから東へ12Km、カトマンズ盆地で3番目に大きい町。15世紀から18世紀にかけてのマッラ王朝ガ最初に時代には3王国(パタン、カトマンズ、バグダプル)の首都として栄えた。マッラ朝が最初に王国を築いた場所です
“人よりも神々のほうが多く住む街”と言われる首都カトマンズには、ヒンドゥー教や仏教を中心とした宗教施設が多く点在している。標高は1330m、人口は45万人。 ネパールの首都カトマンズは、15世紀から18世紀までは、マッラ朝のカトマンズ王国の都として、18世紀のネパール統一後はネパール王国の都として栄えてきた町です。 1990年民主化が起こり、急速な発展をしている。しかし車やオートバイが増え、交通渋滞や大気汚染が深刻な問題になっている。もちろん高速道路はなく信号機もほとんど無い。 三つのマツラ王朝が盆地に独立し、パタン、バクタールと共にダルバール(宮廷)広場があり、それぞれの王が美しさを競い合ったという。
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