ゆかたを着る女性が増えてきました。斬新な色柄、古典的な色柄のゆかた、そして自分に合った粋な着方、創造力豊かに、新しい感性で自由に着ているのを見ると楽しいですね。男性のゆかた姿も増えるといいですね。
右前:自由に着てもかまいませんが、左前には着ない方が良いのでは。
左前に着るのは「死んだときだけ」「早死にする」などといい、たいへん縁起の悪いこと、いわばタブーとされています。女性の洋服は左前なのに、和服では、何故右前にしなければならないのでしょうか
?
第1には、右利きの多い日本人では、懐へ物を出し入れするには、右前の方が便利ですね。
第2は、病院では患者さんが死亡すると、清拭して左前に着物を着せます。これは仏式の葬儀で、死者に着せる経帷子(きょうかたびら)を左前にすることに起因しています。しかし、高松塚古墳(右写真)の中央赤い服の女性は左前に着ています。古墳時代(4〜6世紀)は右前と左前の両方の服装でした。わが国において、最初に服飾の制度を打ち出したのは推古天皇(在位592-628年 )で、聖徳太子の冠位の制定に始まります。聖徳太子は遣随使を派遣し、唐の文化を輸入しました。当時の中国では右前(漢民族 は右前であった。そして卑しんでいた北方の騎馬民族が左前にしていた)が流行していたので、これに習って右前を奨励したそうです。そして719年(養老3年)詔勅「続日本紀」元正天皇2月3日の条に『初メテ天下ノ百姓ヲシテ襟ヲ右ニ令ム』が発布され、以後日本では右前に、そして道端で『のたれ死』の人を左前に衣を着せて死者と生者の区別しました。これが仏教や医師の世界に定着して、死者には左前に着せる風習が定着しました。
では西洋ではなぜ、女は左前でしょうか?異論のあるところですね。H氏曰『自分で着たり脱ぐときは右前が良い。女性を脱がすときは左前が便利だ』と。フェミニスト氏曰『着せて上げるときに左前の方が便利だ』。良く分かりません。 |
↓左前に着ている
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←和装の革命!!”膝丈ゆかた”
右の帯びは男物の兵児帯
↓幹事です。 |
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↓右前に着ている。
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ちょっと気取ってみました。 |
ゆかたを夏の着物風に着こなしてみました。
(若おかみではありません、独身です。) |
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乾 杯
今年は地味で落ち着いた
雰囲気にしてみました。 ビールのキャンペインガール
ではありません。職員です。 |
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今年流行のレグスウオーマーを
手作りし、日本の伝統のゆかたを
ここまで着崩してみました。 |
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うまく出来ないビール注ぎ
ちゃんちゃん焼き |
呂の羽織りの袖を切り、羽織りの紐は女性のネックレスを自分で
加工し、風鈴を付けました。歩く度に心地よい音色がします。 |
相川シェフのフランス風魚料理は美味しく写真を撮る暇が無く、残念。 |
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←サテン生地
での着物風洋服
仕立ての
手作です。
紐を使わない
ので、楽でした。
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一番星見〜つけた。 |
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ビールとカラオケで盛り上がっている。
屋外でプロジェクターによる迫力ある
カラオケ最高!(田舎だから出来るんだ) |
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最後は
Sea Horseからの特別イベント
山崎さん操船によるアルバトロス[
心地よい風を受けて、
徳山湾のクルージングを楽しみました。
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お世話になったマリーナシーホース |
シェフの瀬戸さんとチーフの相川さん |
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Part U、8月31日広島湾クルージング”銀河”へ行きました。
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午後6時50分トワイライトブルーの美しい宇品港を出航、一路宮島沖へ |
7時30分幻想的な宮島鳥居前へ |
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ピアノの生演奏を聴きながらのディナー |
8時30分広島ベイブリッジ(海田大橋) |
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