塩釜から松島へ
|
|
鴎に餌をやる孫たち |
瑞巌寺にて |
|
|
花巻温泉にて |
|
|
角館
弘前城
十和田湖畔の乙女の像
|
高村光太郎は(立つなら幾千年でも黙って立ってろ)と詩にも詠んでいるが、昭和28年10月21日の除幕式からすでに50余年。改めて建立のいきさつを辿ってみよう。
光太郎は十和田湖上遊覧をしていて、湖水に写った自分の像を見ているうちに、『同じものが向かい合い、見合う中で深まっていくものがあることを感じた。それで同じものをわざと向かい合わせた。2体の背の線を伸ばした三角形が”無限”を表す。彫刻は空間を見る。2体の間に出来る隙間に面白みがある』とモチーフを語っている。
体のモデルは当時19才のモデル。みちのくの自然美に対抗出来る力に満ちた女性美の持ち主だと云われているが、私の目には”乙女”には見えない。どう見ても熟女である。完成後光太郎は、『智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。見る人が決めればいい』と答えている。(十和田湖国立公園協会)
これはふたり智恵子だ。一人は正常な智恵子、もう一人は精神病となった智恵子だ。光太郎はまったく同じ二体を造ることで、そのすべてを同等に受け入れたことを表現したのだと。 (森村廉著”みちのくフェイバリット・プレス−現代 奥の細道より)
また眼が空洞になっていることが特徴ですが、これは像を見る人がどの方向から見ても自分の方を見ているように感じさせるための工夫です。
|
|
|
|
残雪の残る青森空港から福岡空港へ |
|