四国遍路No2 44番札所大寶寺から65番三角寺
 80歳を過ぎ、同級生の訃報を聞くようになりました。今日まで多くの方々に助けられて、健康で満足な人生が過ごせたことに感謝をして、四国遍路に行くことを計画しました。弘法大師の修行の足跡をたどる旅が『同行二人』と言われるお遍路の旅です。空と海に導かれ、自然と触れ合い、心して手を合わせてお経を唱える八十八ヶ所巡拝の旅は私たちの疲れた心を癒し、感動を与えてくれる信仰の旅です。
 四国四県1周すると1400Km、前回八十八ヶ所の内徳島県の第1番札所霊山寺から高知県を周り、愛媛県の43番札所明石寺まで6泊7日で巡拝しました。四国霊場公認先達資格を有するドライバーさん(歴史、建築、人類学、文学、日本哲学に精通した経験豊かな「先達」と呼ばれるガイド)に同行をお願いしました。多くのことを懇切丁寧に教えてくれました。今回は44番大宝寺から香川県の88番大窪寺まで6泊7日で巡りました。
                   私の遍路姿
 白衣の背中には『南無大師遍照金剛』、『同人二人』と書かれている。
 頭蛇袋ずたぶくろ:納経帳や納札、数珠、経本、線香、お賽銭袋、ロウソク、
               ライター、ペットボトルなど持ち物を入れて持ち歩く。
納札:読経あるいは写経を納めた証に本堂と大師同の2カ所でこの札を納めます。1枚ずつ表には自分の住所と名前、参拝年月日を。裏には願い事などを書きます。
     
  すげ笠には、『弥勒菩薩(みくろぼさつ)を表す梵字(ぼんじ)、同行二人の文字、迷故三界城、迷いがあるから壁に囲まれ自分のもに執着するが、悟故十方空、悟りを開けば全ては十方は空くう)だ。本来無東西、もともと東も西もない。どこに南や北があるというものか。という文字が書かれている。  半袈裟;私のは『高野山 参与』と書かれてる。
 数珠は、煩悩の数108個の球が連なる真言宗
       用の
尺2振り金剛菩提樹です
納経帳:参拝した証として各寺の納経所で墨書と
      ご朱印をいただくための帳面。回るたびに同じ      納経帳を使って重ねて印をしていきます
 0番札所西安(唐の長安)の青龍寺の朱印です。恵果阿闍梨から空海に真密教が伝授され、空海阿闍梨を授受した。青龍寺まで行ってきました。

 金剛杖には、『般若心経』が書かれている。杖の上部には五輪塔をかたどった刻みがあり、空・風・火・水・地を表す5つの梵字が書かれている。
      杖は弘法大師の化身なので、不浄な場所に持って入らず、休む際も杖の先を洗ってふき、合掌し、出かける際も合掌してから持ちましょう。また、橋の上ではお大師さんが橋の下でお休みされたことがあるという言い伝えから、杖を突かないならわしがあります
  
御影入れ納経所ではご朱印にお寺の御本尊が描かれた御影の絵をいただく。その絵の保存帳。
 菩提の道場伊予愛媛県40番観自在寺65番三角寺
   
 松山城  伊予鉄の坊ちゃん列車  からくり時計
 44.大寶寺:標高500mヒノキの木々の間を歩くと非常に美しく、別世界に誘われたような気分になる。大寶寺の名称は701年に百済の聖僧がここにきて十一面観音を本尊に寺を創建した。
   
 樹齢を重ねた木々に囲まれており、歴史の長さを感じる 701年文武天皇の勅願時として、一時は48坊を有する大寺であった。  1156年火災により焼失、後白河天皇の病気祈願が成就し、再建。
 45.岩屋寺:山頂の行場は700mの所にあり 、真言密教の世界を表す祈願に抱かれて、修行に精進する遍路を見守っているようだ。
   
    山深く山峡を登ってやっとたどり着く、山門  さらに126段の石段
   
 本堂は巨大な岩壁に埋まるように建てられている  梯子を登ると修行の現場に行けるが、足がすくむ
 46.浄瑠璃寺:本尊阿弥陀如来のおる理想郷    
   
山門がなく、 正岡子規の句がある  708年行基によって建立し、薬師如来と脇仏の日光、月光菩薩、12神将を刻んだで安置した
 47.八坂寺:遍路の祖である衛門三郎生誕の地    
   
 熊野権現と深いつながりを持つ歴史ある寺  701年に伊予の国司越智が開創した、  大師堂
 48.西林寺:88ヶ所寺の内3つ目の関所寺は、無間地獄   心に罪のあるものは奈落の底に落ちて行く  
   
741年聖武天皇の勅願により行基が創建    
 49.浄土寺    
   
 749年孝謙天皇の勅願により恵明上人が開基した    本堂は領主河野道宣が建立した
 50.繁多寺  
   
 749年孝謙天皇の勅願により行基が伽藍を整えた、  伊予の名門河野一族河野道広の次男として生まれた一遍上人ゆかりの寺である 
 51.石手寺  、衛門三郎の伝説と対面することができる。懺悔、再チャレンジ、自己実現というテーマが浮かび上がる。  
 
 仁王門は1318年河野道嗣の寄進によるもので国宝、
仁王像は運慶一門の作で重文。
 本堂  鎌倉時代に建てられた三重塔
   
 大師堂 西安大使西安大師は、高さ16メートル・顔の長さ2.4メートル・筆の長さ3メートルの、弘法大師さまの像です。身体は弘法大師さまが修行した中華人民共和国の西安市の方角、顔は仏教発祥の地であるインドの方角を向いています  
 52.太山寺:聖武天皇の勅願寺、孝謙、後冷泉、後三条、堀河、鳥羽、崇徳歴代天皇の勅願により11面観音が安置された。   
 
 1の門をくぐり本堂までは長い階段が続く  3の門(四天王門)  
 
 国宝本堂は鎌倉時代に領主河野家の寄進により修理再建された。  本堂の11面観音  
 53.圓明寺    
     
 749年聖武天皇の勅願により行基が創建、後に弘法大師巡錫し53番札所となった   隠れキリシタン
 54.延命寺:度重なる戦火の中、脈々と法灯を守ってきた。    
     
 明治以前までは、円明寺と言い別の場所に建っていた。    
 55.南光坊:本尊は大三島神社の本地仏である    
 
 大山積神を祀る大山ずみ神社を祀る別当であった。  明治の廃仏毀釈令により寺とした。  別宮大山ずみ神社の隣にある
 56.泰山寺    
 四国遍路には、3つの約束事、三信条がある。
 一 摂取不捨のご請願を信じ 同行二人の信仰に励もう。
 二 何事も修行と心得、愚痴 妄言をつつしむ。
 三 現世利益の霊現を信じ 八十八の煩悩を消滅しよう

弘法大師が残した十の教え『十善戒』がある。
  これは仏教の教えであり、人がしてはいけないこと、お遍路さんが守らな  ければならない戒律です。
    不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 
    不悪口 不両舌 不慳貪 不しんに 不邪見
 815年大師が開基した。  大師堂  
 57.栄福寺:嵯峨天皇の勅願により大師が開基した。    
 
 本堂、海難事故防止祈願をしていると、海中から阿弥陀如来が現れた  明治の廃仏毀釈令により神社と寺を分離した。  
 58.仙遊寺    
 
 今治市の山頂にあり、今治市を見下ろす絶景にあるも、小雨  天智天皇の勅命により伊予の国主越智守興が建立した。  
 59.国分寺:聖武天皇の勅願により各国に1ケ寺づつあり    
 714年行基が開基して、当時は7堂伽藍を整えた大寺院であった  長宗我部元親と伊予の国主河野公との戦いで、河野公は敗れて焼かれ た。復旧が出来ず当時の面影はない
60.横峰寺:標高750m にある最大の難所  
 
 霊峰石鎚山の中腹にある、西条の町  年輪を重ねた杉木立の中を歩く  
 
 石楠花に包まれた異次元の世界が広がる。  651年修験道の開祖が小堂を建てたのを、行基が訪れて大日如来を刻み納めた。   
 61.高園寺:近代的な大聖堂    
 
 昭和51年建造、内部は柱が1本もない近代的な建物  中央には護摩壇、  両側には金剛界と胎蔵界の大壇がある。
 62.宝寿寺(一宮)    
 
 聖武天皇は天平年間に諸国に一宮を造られた  秀吉の四国攻めで殆どを焼失した。  
 63.吉祥寺    
 
 山門  810年ころこの地を訪れた大師が毘沙門天を刻んだのが、本尊  
 64.前神寺:石鎚神社別当前神寺であったが、神仏分離によって、石鎚神社が分離した。  
 
 鳥居をくぐって石段を登ると  新緑に囲まれた本堂が見える  
 
 本堂  大師堂   一円貨幣が付くと願いが叶うと、、中々叶わない
 65.三角寺:標高450m64番前神寺から50Km  
 
 72段の急な坂道を登ると  梵鐘が釣り下げられた仁王門ガ有り、鐘をついて境内へ  
 
 本堂は天平年間聖武天皇の勅願により行基によって創建  1581年長宗我部元親軍の兵火により本堂以外は焼失した。