2009年~2010年
Finlandにて
5月1日午前11時フィンランド航空は、関空を離陸した。一路、米子へ、そして慶州、仁川、北京、そしてモンゴル、モスクワの北を飛行し、9時間30分でヘルシンキ国際空港に到着した。30年前は、アンカレジ、ヒュースロー経由で26時間もかかったのがわずか1/3である。一樹君はゲームをマスターしてしまった。
ウエルカムドリンクを。爺はシャンペン、一樹はオレンジジュースを。
早々に昼食を
モスクワの北を西へ飛行する。下は氷のツンドラだ
現地時間午後2時ヘルシンキ空港着く。乗り換え客が多い。出口では職員は誰もいない。
勝手に緑ランプを素通りする。
ラーメンやカレーなどお土産は食料品ばかりを持参した
息子の家の前で
雪がやっと融けた時期で、庭の隅にはまだ雪が残っていた。木の芽はまだ出ていない。日本の2月頃だ。愛子はダウンを着ている。
フィンランドはサウナの発祥の国です。
息子の家でサウナへ入ったが、大輔が水をかけると、急に温度が上昇して、爺は早々退散してしまった
メトロ(地下鉄)でホテルへ
カンプホテル1887年創業。5つ星の最高級ホテルだ。
ホテルの部屋の風呂に皆はいる。フィンランドへ来て初めての入浴だそうです。孫たち大喜び。でも後は水浸しでした。
右:フィンランド国家を作詞したルーネベリの像
バルト海の乙女の像と
30年前のバルト海の乙女?
ヘルシンキ中央駅。30年前と全く同じだ
エストニア(把瑠都 の国、ハンザ同盟で栄えた国)の首都タリンへ
まずは中央駅からバスに乗って
2時間の船旅
タリンの港で、一樹は春モードで、他の者は冬モード。世界で最も要塞化されていた都市であり、最も美しい風景と言われている。
1219年デンマーク王に征服され、以後ドイツ、スウェーデン、ロシアに支配され、1991年にソビエト連邦より独立した。
お土産やさんで、エストニアの帽子をかぶる愛子。かわいい
左が旧市庁舎(1402年に建設された、唯一北欧で現存する中世の市庁舎)。14世紀後半、タリンの商人はロシアと西ヨーロッパの貿易を仲介し、富を得た
レストランで昼食を
左はカタリーナ教会。
アレクサンドル・ネフスキー教会
ユネスコの世界遺産に指定されている。
歩いて歩いて、今日は10Kmも歩いた。大輔は少し疲れ気味。
タリン⇒ヘルシンキへのフェリーの中での夕食
トラムに乗って市内見物
30年前のトラム
エストニア行きフェリー
ストックホルム行きのフェリー
海沿いの道を歩き「カイヴォプイスト公園」へ。近くに『かもめ食堂』もある
1979年ヘルシンキ弯に浮かぶヨットを見て、帰国後早々にヤマハ30フィートのヨットを購入した。
右:ウスペンスキー寺院
海とスオメンリンナ島を見渡せる「カフェ ウルスラ」で
エスプラナーディ公園、やっと冬が終わった。5月1日
1979年6月20日頃は春欄満であった
マーケット広場で、カモメと戯れる二人
オリンピアターミナルよりウスペンスキー寺院
テンペリアウキオ(岩の教会)。岩をくり抜いた教会。一樹が2階より撮影する
30年前と変わらない
1979年、30年前の大聖堂前にて
上:ヘルシンキ大聖堂1852年建築。
左:国会議事堂
ヘルシンキの海上要塞スオメンリンナへ---ユネスコ世界遺産
1748年、スウェーデンはロシアからの脅威に対抗するために、ヘルシンキ沖の島々に現在では世界遺産にも登録されている、スオメンリンナ要塞を建設した
要塞の建設はスウェーデン王国の一部であった1700年代から始まった。
孫たちは防空壕を探検だと称して走り回り、爺婆は追いつけない。
大砲は西側のスウェーデンを向いている。
ヘルシンキ弯クルーズ
30年前はスオメンリンナには上陸出来なかった。
イッタラのお店。
ここで優子さんからとお母さんからお土産が届けられた。
日本料理店での和食の夕食
トルク城
トルク大学に1日見学した
智規と愛子の小学校を大輔が案内してくれた。
バスに乗って家へ帰る
雨かと思えばみぞれが降りだした。寒い!大輔【靴に穴があいていたので水が入り冷たいよ】と言う。バスを降りて自宅への道
ヘルシンキ空港で、爺ちゃんと一緒に日本へ帰る!航空券が無いのなら、このカバンの中に入って帰ると頑張る大輔
キャンセル待ちでやっと購入した航空券、どうしてこんなに乗客がいないのだろうか?一樹は眼が輝いている。
もしかしてゲームをしているのだろうか? 搭乗率は30%くらいだ。関空に5月5日午前9時定刻に着陸した。