青の魅力 ウズベキスタンの旅 2 |
プハラ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
プハラの黄金時代は、9世紀のサーマーン朝時代に始まる。イスラム王朝の庇護のもと、優秀な宗教者、科学者、神学生、そして商人なども各地からプハラに集まってきた。 またオアシスを結ぶ交易の十字路としても栄えたその繁栄も1220年のチンギスハーンの来襲にて廃虚と化した。しかし16世紀のシャイバニ朝の時代になって、プハラは再び蘇った。 シルクロードの面影を色濃く残すブハラの街並みはこの頃完成し、その後今日までほとんど変化していない。 アラーン
ヒ ヴィアへ キジルクム砂漠を480Km、約8時間余りのバスの旅でヒヴェアに着く。
ここヒヴィアは首都タシケントから1000km西に在り、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の入り口のオアシスとして栄えた。 年間300日は雲が1つもないという過酷な土地である。外敵を防ぐために外壁(周囲が6Km)と内壁の2重の城壁で守られている。 内城には、20のモスクと6基のミナレットを初め数々の遺跡が残されている。1990年世界遺産に登録された。 イチャンテンカラ(内城)は高さ8〜10m、厚さ6m、長さ2250mの城壁に囲まれた小さな町である。
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