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夜明けのカンヌ。7時カンヌ港の沖に投錨 |
港が浅いので、ノルウエージャン・エビック号15万5千トンは着岸できない。テンダー(救命と間違ていました)ボートで上陸する |
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ヨロッパの一大リゾート地, 快晴で美しい海と温暖な気候、気持ちの良い港町。 |
カンヌ国際映画祭の会場があることでも有名である
2011年にはG20の国際会議が開催された。 |
海辺には高級ホテルやレストランが立ち並ぶ。 |
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エズ村へ高速道路を経由してバスで30分 |
香水工場のお店『フラゴナール』です |
香水工場にて |
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こんなにも購入した。ハンドクリームは荒れた老人の手は優しくなった。 |
女性は真剣に説明を聞いている。 |
中世に異教徒からの攻撃を防ぐために岩山の上に造られて鷲の巣村。エズ
このような村がコート・ダジュールには100近くある。 |
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曲がりくねった石畳の小道を登る。 |
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熱帯植物園とエズの街並み |
眼下に海が広がる絶景は石畳を登ってきた価値がある |
ニーチェの小道がある。 |
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15階のレストランから、カンヌ港の眺め |
15,16階船尾のスパイスH20で、今日は絞りの羽織で
昼はサンデッキでのんびりと、夜はイベントでナイトクラブになる。 |
CIRQUE DREAMS AND DINNERは、
スリル満点のショウでした。1人48$追加料金がいった。
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今夜のデナーはテイストで、ヨーロッパレトロスタイルのレストラン |
セミスイートの船室 |
アクアパーク:子供にも大人にも、大人気 |
カンヌ港を16時出港し翌朝7時マルセイユに入港した。
南フランス、プロバンス地方の港町マルセイユは、紀元前600年ギリシャのフォカイア人が築いた植民都市でフランス最古の都市です。天然の良港に恵まれ、商都として発展しました。北側はサンジャン要塞、南側はサンニコラ要塞でその入口を護られる旧港があります。 |
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マルセイユの古い港とノートルダム聖堂が見える。 新港に着岸したノルウエージャン・エビック号からの眺め |
マルセーユの古い港 |
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ヨットハーバーのある旧港にはレストランが立ち並ぶ。 |
町のシンボルであるノートルダム・ド・ラ・ガルド・バジリカ聖堂は、
ローマビザンチン様式の聖堂で |
港の街並み |
エク・アン・プロヴィアンスセザンヌが晩年を過ごした水の都
歴史的には、ローマ帝国終焉後、プロヴァンスは536年にフランク王国に含まれ、947年にはブルグント王国内のプロヴァンス侯領となった。その後エクサン=プロヴァンスを首都とするプロヴァンス伯領となったが国境は変動した。1388年、ヴァール川東側の領土は失われてサヴォイア伯国(fr)に併合され、サヴォワ内でこの地方はニース伯領となった。約1世紀後の1481年、プロヴァンス伯領はフランス王ルイ11世が相続し、フランスの州となった。この時代、現在のオート=アルプ県はドーフィネ州の一部となっていた。ヴネッサン伯領は1274年から教皇領となり、1348年からアヴィニョンが教皇領となって、フランス革命中の1791年にフランスに併合された。 |
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「世界で最も美しい通り」と讃えられる”ミラボー通り”。 |
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セザンヌがよく通ったカフェ |
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噴水:市内の各所に見事な噴水があります。古代から水を引いて市民に配給していた。水が貴重な地方の中にあって、エクス・アン・プロヴァンスは数多くの水源をもっていました。しかし、水が噴水としてふんだんに使われるようになったのは、19世紀後半になってからのことで、ヴェルドン運河とゾラ・ダムが建設されたおかげです |
ピザ屋さん |
砕いたアーモンドを原料とするエックス銘菓のカリソンなど沢山のお菓子がある。 |
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リシェルム広場では、年間を通じて毎朝、地元の生産者による市場が開かれている。
左は市庁舎として現在も使われている |
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花屋 |
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果物の店
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サンソプール聖堂
5世紀から18世紀にかけて徐々に建設された大聖堂です。そのファサードには、様々な時代の建築様式が読み取れます。ロマネスク様式の扉とローマ時代の壁が隣あわせとなり、豊かに彫刻を施したゴシック様式の扉の上には、1323年から1425年にかけて建てられた鐘楼がそびえます。内部の洗礼室は、5世紀の建物部分の上に作られています。中庭を囲む12世紀の列柱回廊は、静けさと優雅さに満ちています。 |
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ニコラ・フロマン作3連祭壇画『燃ゆる茨』 |
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16時にマルセーユを出港し、スペインのバルセロナ港5時入港した。 |
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7時1分日の出 |
モンジュイックの丘からの眺め ノルウエージャン・エビック号が停泊している。 街中にはサクラダファミリアが見える。 |
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1904~1906年にかけてガウディが改装を手がけた邸宅。淡い青や緑、紫色のタイルやガラスで装飾され、窓の部分も繊細なステンドグラスを施したおとぎの国の家のような建物。 |
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バルセロナの高級ショッピング通り、パセジ・デ・グラシアにそびえるカサ・ミラ。現在も住人がいる民間住宅です。切り出したままの石が建物の素材としてそのまま使われているので、石切り場(ペドレラ)とも呼ばれています。地中海をイメージした波打つ外観だけでなく、海草をイメージしたバルコニーの鉄の欄干や、ローマ時代の兵士の兜をモチーフにした屋上の煙突など、細部もユニーク!
最上階にはガウディの博物館や実際の住居のように家具が並べられたスペースもあります。 |
サクラダファミリア
1882年礎石が置かれ、翌年からアントニ・ガウデイガこの建築を引き継ぎ、大聖堂をより優れた革新的なものにするために43年間取り組んだ。今もなお建築が進められている。 |
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バルセロナ空港を15時30分に離陸し7時間の飛行で午前0時30分アラブ首長国連邦のドバイに到着。3時にエミレーツ航空は9時間で17時に関西国際空港に到着した。 |
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