フランスの旅:南から北へ2

ボルド
カルカソンヌから335Kmバスで約5時間でここボルドーに着く。
ボルドーは、世界的なワインの生産地、ローマ時代から良港を持つ町として栄え、18世紀にはワイン貿易で黄金時代を築いた。
フランス革命の引き金となったジロンド派を生み出した。モンテスキューやモンテーニューを世に送り出した。歴史的にも興味深い町である。
ブドウ畑をボルドーへバスは走る。 ガロンヌ川
ブルス広場に2006年に登場した水鏡は『水面』と霧が交互に現れ、18世紀の宮殿を幻想的に映し出している。今日は風がありさざ波が立ち、水鏡には成らなかった。
広場のレストランでの昼食 前菜はハムとピクルス タラのクリーム煮、大味で不味い。日本的に醤油味の方が良いのでは?
現地ガイドさん(フランスに留学し、現在日本語教師をしている)
と添乗員の松尾さん
              町を歩けば古典様式の重厚な建築物が並び往時の繁栄ぶりが偲ばれる。

アキテーヌ門から放射状に道がのびている。

アキテーヌ門(Porte D'aquitaine)  ボルドーの凱旋門           
ヴィクトワール広場の中心にあり、1755年に造られた歴史ある町の南側を守っていた城門で、中世の面影が垣間見られる。

大劇場:1773年から7年間の歳月をかけて建築された。建物はルネッサンス様式でコリン式の12本の柱が並び
その上に9人のミューズと3人の女神像が見える。エントランスホールの大階段はパリのオペラ座をモデルにしたと言われている。

サン・タンドレ大聖堂:11世紀から工事が始まり、左の塔はペイ・ベルラン塔 マカロンの専門店

立派なパイプオルガン              ステンドグラスが美しい。      

ホテルでの夕食

シュノンソー城 
9時8分発のTGVに乗る予定だったが、ホテルにバスが来ないという前代未聞のハプニング。添乗員とガイドさんパニック!タクシーを呼ぶ?他の会社にバスを交渉する?
結局トラムに乗るべく約1Kmをトランクを持って大移動。ここはフランスですから!

私が写真を撮っているのに、未だ線路を横断中の人がいる。
電車が来ている、早く渡って!
スーツケースを持って1Kmの行軍!皆黙々と歩く トラムが来た。乗るも信号赤!ストップ!  イライラ、、、 満員のトラム。暑い
8時50分汗ダクダクでボルドー駅に着く 8時8分TGVが着く予定、新幹線が遅れること10分 乗り遅れると思っていたのに乗れた!!
          10時58分サン・ピエール・デ・コール駅に定刻より20分遅れて到着する。                  EVを待つ                                   駅の正面、バスが待っていた                     
バスで10分、トウールに着く。ルイ11世紀時代は首都だったというこの街には、歴史的建造物が沢山残っていて、中世を
感じさせる雰囲気です.トゥールの街中を通るひときわ大きな通りがナショナル通りで、市庁舎からロワール川へとまっすぐに伸びている。
市庁舎側はバスかタクシー、または警察などの特殊車両しか通れないようになっており、そのため、交通量が少ない。
通りには様々なショップが並び、たくさんの買い物客でいつも賑わっている。
トゥール市庁舎:美しく立派な門構えの建物。19世紀から20世紀にかけて建てられた。近くで見るとあちらこちらに細かな装飾が彫り込まれ、その姿はまるでお城のよう。屋根の細工も素晴らしく、周辺の建物と比較してもその美しさは際立っている。
ナショナル通りで早々に昼食                                        今日はチキン、味が良くしみていて美味しかった
        
ロワール川流域には10数の古城がある。その中の一つシュノンソー城
16世紀創建以来19世紀まで、代々の城主は女性だったことから”6人の女の城”とも呼ばれている。中でも2番目の城主デイアヌイは時の王アンリ2世の寵姫で、王より20歳も年上でありながら、衰えることのない美貌で愛を独占した。しかしアンリ2世の死後、正妻のカトリーヌは積年の恨みを晴らすべくデイアヌイを城から追い出し、3番目の城主になった。
ブドウ畑を走ること20分でシュノンソー城に着く
                                             正妻 カトリーヌの庭園:上品な優雅な円形の池と周辺の芝庭、  とデイアヌイの庭園:直角に交差する小路と渦巻き装飾のある八つの三角形の庭
 ルイ14世のサロン:ルイ14世は1650年にシュノンソー訪問を記念し、これらの絵、紋章、家具などを贈った。
第四の女城主ルイーズ・ド・ロレーヌは、ヴァロワ王朝最後の国王アンリ三世の王妃。1589年にアンリ三世が暗殺された後、この城に引きこもり、喪服を着て、ひそやかな余生を送った。
5人の王妃の居室(カトリーヌの二人の娘と三人の義理の娘を記念して名づけられた)。大きな天蓋ベットとルネサンス様式の暖炉 ギャラリー(回廊)1576年に作られた。舞踏会場であった。
第1次世界大戦中は、病院に改装して使われていた。
この回廊の広さは、全長60m 幅6mの縦長。18もの窓から明るい日差しが差し込み、床は白と黒のおしゃれな木組み風のデザイン、石灰岩とスレートが敷き詰められている。天井は横梁が剥き出しになっています。
城内にロワール川の支流のシェール川が流れ、川をまたぐように白い城館がたたずむ。その気品あふれる姿はまるで水辺で羽を休める白鳥のようだ。
カトリーヌは橋の上に3階建ての建物を増設し、現在のお城の姿になった。
その後322Kmバスで約4時間、  モンサンミッシェルへ 

この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。
708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けた。そこでここに礼拝堂を作ったのが始まりである。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。
英国との100年(1337〜1453年)戦争の時にも不落の強固さを見せたモンサンミッシェルは、軍事建造物の一つとして見做される様になった。フランス革命時には監獄として使用された。


ホテル ”ル ルレ・サン・ミッシェル”に宿泊した。
モンサンミッシェルに最も近いホテルであった。
白ワインも食事も美味しい
    オムレット・モンサンミッシェル

19世紀後半のお話。この地で宿を営んでいたプラールおばさんが、巡礼者に「栄養があっておなかがいっぱいになるものを」と考えて提供を始めたのが始まりだそうです。ボールでリズミカルにたっぷり泡立ててから焼くため、スフレ風のふわふわ〜に焼きあがるのが特徴です。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった
22時45分から夜景を見に行く 朝6時のモンサンミッシェル 8時40分朝一番のバスに乗る。  下は↓プラールおばさんの店
天国を思い描いていた中世の人々が、現生の空に聳えるエルサレムとみなしていた。 王の門:昔、王が派遣した衛兵が詰めていた城門で、外からの侵入者を
防ぐために作られた跳ね橋が残っており要塞の時代が垣間見られる。
巡礼者の歩いた参道「グランド・リュ」:修道院下の狭い路地は店が立ち並び観光客で溢れている ヨーロッパ内でも干満の差が最も激しい湾として知られるサン・マロ湾。潮の満ち引きの差は15メートル以上ある。このため、かっては小島は満潮の時には海に浮かび、干潮の時には陸と繋がっていた。
西のテラス:修道院内の教会の正面にあり、対岸や干潟の
        景色を楽しめる眺望ポイント
修道院付属教会のゴシック様式の内陣:1523年に完成をした、高窓から差し込む光の効果を最大限に考慮して造られた ラ・メルヴェイユの列柱廊
ラ・メルヴェイユの列柱廊:中庭を囲んで円柱が建ち並び、修道院内であることを忘れてしまうような開放的なエリア。
教会北側の「ラ・メルヴェイユ」の最上階にあり、僧侶の憩いの場になっていた。
合同の食事室:側面には狭い窓が作られているが、入り口からは見えない。



 その後バスで359Km約4時間30分でパリに着く
 パリへ