フランスの旅:南から北へ3

 今回の旅は、関空、ニース、アルル、アビニヨン、ボン・デュ・ガール、カルカソンヌ・ボルドー・ロワール・モンサンミッシェルそしてパリに着いた。

 パリ



Look JTB21名最後の晩餐は
エッフェル塔を望む
レストラン『レ・ゾンブル』にて
皆さん今日はおめかしをしています。
添乗員の松尾さんお世話になりました。
  ベルサイユ宮殿 
世界一豪華な宮殿は、ルイ13世が狩猟を楽しむために建てた小さな館に過ぎなかった。それをルイ14世が50年間にわたって、沼地であったこの土地に、森を移し、セーヌ川の水を150m汲み上げるといった自然の大改造を行い、フランス中の建築家、画家、彫刻家、造園家そして何万人という労働者を駆り出して造らせた。これらの人々の苦労を横目に宮殿の中では連日連夜、多くの貴族達を集めて宴会が行われた。これが国家経済の破綻と、国民の反感をかいフランス革命に繋がり、王家の滅亡に至った。。
宮殿入り口
8時40分ホテルを出発して9時40分朝1番の入場
ルイ14世が建造したバロック様式の優雅な宮殿。左右対称のシンメトリックな外観は、洗練された美しさがありますね。屋根に施された“金”の装飾
早朝なのでまだ人が少ない
庭園:ラトナの噴水は300年前と同じく、大貯水池から全長30Kmの配管を通してサイフォン式で送られて来た水の水圧を利用している。  幾何学模様が見事な庭園

「ヘラクレスの間」の『シモンの家の宴会』
マリアがイエスの足に香油を塗っている様

講堂と天井画
  大広間の天井画                             宮殿の中で最も美しく壮麗な空間である”鏡の回廊
1687年に完成し、宮殿を訪問する人々の通路や待ち合わせ場所、祝宴や、盛大な規模の儀式の場所として利用された。
1919年、第一次世界大戦後の連合国とドイツとの間で締結された歴史的な "ヴェルサイユ条約" も、この「鏡の間」で調印されたのだそうです
王の寝室
1701年にルイ14世はここに寝室を移動した。1715年9月1日に亡くなられたのもこの寝室であった。寝室は単に、就寝する場所としてだけではなく、重要な儀式を催すための部屋としても使用されていた

ノートルダム寺院  
パリ発祥の地、シテ島にそびえる絢爛たる大伽藍。初期ゴシック建築の傑作である。ノートルダムは『我等の貴婦人』という意味。つまり聖母マリアに捧げられたもの。1163年に着工し、完成したのは14世紀と言われている。
フランス革命の時には、彫刻は破壊され、司教はギロチンの刑に、聖堂は閉鎖され、荒廃するがままになっていた。しかしその後ナポレオンがここで戴冠式を行い、大修理が行われ、1864年に完成した。



ステンドグラスからの神秘的な光
天に向かって伸びる塔 巨大な内部空間が広い

   ルーブル美術館 
古代オリエントから18世紀の彫刻、絵画、デッサン、美術工芸品など30万点があり、3万5千点が常設展示されている。
パリにあるオルセー美術館には19世紀の作品が、国立近代美術館には20世紀から現代までの作品が展示されている。
タニスの大スフィンクス
花崗岩のスフィンクスが、古代エジプト美術部門の入り口にある
スフィンクスには、猛獣であり太陽の象徴でもあるライオンのイメージと、頭巾(ネメス)、頭を持ち上げたコブラ(ウラェウス)、つけひげとカルトゥーシュ(楕円形王名枠)に記された名のおかげで王と分かるイメージとが混在している。

ミロのヴィーナス:上半身が裸体であることから、ローマ神話ではヴィーナスと呼ばれ、海から生れた愛と美の女神だと。紀元前100年頃に制作されたものと推定されている。感情を表わさない冷ややかなこの顔、巧みなプロポーション、官能的な裸体は「美」を永遠に追求することに対する時を超越した「傑作」となっている。 サモトラケのニケおそらく地震によって破壊されたものと思われるが、この彫像は、1863年に、エーゲ海のサモトラケ島で、多数の破片に砕かれた状態で見つかった。右側の翼は、唯一残存していた左側の翼を基にした石膏のコピー。
紀元前190年頃に、ロドス人が海戦での勝利を神に感謝するために奉納したものと考えています。

リザ・ゲラルディーニの肖像1503年から1507年にかけてフィレンツェで描き始められた、モナ(「夫人」の意)・リザ・ゲラルディーニ・デル・ジョコンドの肖像であると考えられています。「ジョコンダ」という言葉には「幸せな」という意味もあることから、「モナ・リザ」の微笑は、「ジョコンド夫人」の名を象徴しているとも言えます。「モナ・リザ」のポーズや身なり、そしてまつ毛や眉がないことが、その身分の高さを示す優美さにふさわしいと言えます。
とりわけ理想的な肖像画であり、身体の美に魂の美を見る

入り口の中庭に建つガラスのピラミット

オダリスク
アングルは、裸婦という古代のテーマを行ったことのないオリエントの世界に移し換えています。重々しい青の衣襞、ターバンや水煙管は、錯覚的なやり方で描かれています。さらに、青と金色のむしろ冷たい調和によって、このイメージは現実から引き離され、芸術家の見た純粋な幻影となっています

1804年12月02日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と
皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式』
幅10m、高さ6mの大作であるジョセフィーヌが主人公か
セーヌ川のデイナークルーズ  
セーヌ川ディナークルーズ バトーパリジャン社に日本で予約して行きました。窓際を1名169ユーロ(含まれるもの: 飲み物/夕食/乗船費 )で、5名予約が出来ました。所要時間は20時30分から3.5時間
料理は今回のLookJTBの料理より豪華で美味しかった。
飲み物は、グラスシャンパン、サン・テミリオン・レ・オー・デュ・ブルボネー、ミネラルウォーターと コーヒーは無制限、マコン・ヴィラージュワインは2名で1本 (750ml)ハーフボトル提供された、しかし赤ワイン1本で満足、白ワインは封を切らなかった。多すぎた。すべてのデザートは・メゾン・ルノートルの作品だそうです

19時30分のエッフェル塔 航行中の船からのエッフェル塔 23時40分のエッフェル塔
全員きもので20時に乗船し、20時30分エッフェル塔の近くから出港した。
窓際の席は眺めは良いし、静かだ。

■前菜サーモンフィレ、野菜のタルト、ブッラータチーズソース、クリスピーフェンネル添え
■前菜: カニとアボカドピューレ、クリーミー・ホワイト・ワイン・ソース、キヌアのパフ添え
■メイン:スズキのロースト、彩り野菜のレモンバター添え、緑シカクマメソース
仔牛のランプ肉、じゃがいものニョッキ、洋梨とあんず,ルッコラソース
■デザート:「ルノートル」のケーキと焼き桃
デザート:コンチェルト・ショコラ・パッシーと新鮮なラズベリーとラズベリーソース
■メイン
- スズキのロースト、彩り野菜のレモンバター添え、緑シカクマメソース
- 仔牛のランプ肉、じゃがいものニョッキ、洋梨とあんず,ルッコラソース
- 鴨肉のフィレ、サクランボのソース、白カブとタイムのコンフィ大豆とともに
- ローストビーフ、サラワク胡椒とともに、クリーミーなポレンタとオリーブ、シェリー酒ソース添え



ノートルダム寺院を過ぎ、シテ島の橋で折り返した。 船内では生演奏、日本人の知っている曲は聞こえてこない。喧しい
ホテルの前に着けず、近くで100ユーロー(13,000円)を要求する。『each20ユーローだ。5人だから100ユーローだ』と
ボッタクリ!
楽しかったセーヌ川のデイナークルーズは23時30分にエッフェル塔の傍に着岸した。800m歩いて帰る予定であったが、 イエナ橋の袂からバスに乗れるというので、バス停で待つことしばし、
この4名の顔、やはり一番若い人が元気そうですね。
一番弱いと言って心配していた人が午前零時でも元気だ!!
『私は次は南極へ行きたい!』と寝言を言っていた。by 春
 バス停で待っていると、人タクが(良いカモだと)停車した。ノボテル・パリ・サントル・エッフェル迄いくらだと交渉すると、20ユーロ。1Km足らず、10分で2,600円高いと思うが、楽しそうで乗ることにした。
                  最後まで悪いフランスのイメージ

  一路関空へ 現実へ 
9時50分ホテルをタクシーで出発し、10時40分シャルルドゴール空港到着。Priority だと特別にチェックインし、買い物、ラウンジで休息。AF0290は機材の都合で2時間遅れで16時出発とのアナウンス。またもフランス。搭乗して飲み物リストを渡されたので、その中から『大吟醸』を注文すると、機材が変更したので大吟醸を積むのを忘れたとの回答。ワインを飲んで17時から爆睡する。関空には2時間遅れの10時30分に着陸した。
 後期高齢者でも元気で楽しい旅でした。