遥かなるエジプトナイル川クルーズ エ ジ プ ト 2 世界最古の文明
     エジプトの歴史
初期王朝 BC
3000年 
象形文字(ヒエログリフ)
パピルス 
 古王国 BC2686年   クフ王・カフラー王・ メンカウラ王   ギザの3大ピラミット  
 新王国  1550年  トトメス1世  シリア、パレスチナへ遠征し
 1479年  ハトシェプスト女王
 (トトメス3世の摂政)
 ハトシェプスト女王葬祭殿
貿易で盛え、国力強化
 1479年  トトメス3世 領土を最大に広げ、最強の国に
1419年  トトメス4世   『夢の碑文』。
スフィンクスをを修復
 1388年  アメンヘテプ3世  国が最も栄え、カルナック神殿、ルクソール神殿を増改築。ムノンの巨像
妻ネフェルテイテイ
 1353年  アメンヘテプ4世  カルナックアメン神殿の中にアテン神殿を建て、1神教。アマルナ美術が開花し、ネフェルテイテイ(再婚妻)の胸像
 1333年  ツタンカーメン王  黄金のマスク
 1279年  ラムセス2世  王妃ネフェルタリ。アブ・シンベル神殿。征服王
 ペルシャ帝国  525年  カンピユセス2世  征服された。アラム語が公用語となる
 マケドニア朝  332年 アレクサンドス3世 マケドニアに無血征服
 プレイマイオス朝   305年  プトレマイオス1世 首都をアレクサンドリア
 BC30  クレオパトラ7世  ローマに敗れて古代エジプトは終わった
 ロー時代  AD30 ローマ皇帝(アウグストゥス)  エジプト文明の終焉とキリスト教化、ギリシャ語と文化
 イスラム時代  641年    アラブ軍がエイプトを征服
 
 赤道直下標高1143mのビクトリア湖から流れるナイル川は、
5760kmの世界一の長さである。
 アスワンからルクソールまでアムワージュ号で3泊4日の旅をした。  
  コム・オンボ神殿 
朝5時起床、6時船を出発、日の出前に徒歩でナイル湖畔の小高い丘の上にあるコムオンボ神殿へ。プトレマイオス朝の時代(BC332~32年)に建設された。
 

珍しい出産の壁画、
座って出産している。
ハヤブサの神ハロエリスト、セベック神の2神を祭ってある。 グレコ・ローマン時代に建てられた、柱頭は様々な様式が用いられている。
右側は豊穣と世界の創造の神であるワニの神セべクを
左側はハヤブサの神ハロエリスを祭ってある。
ワニの顔をした神セべク。ワニのミイラが沢山展示してあった。 セベク神(左)と太陽神とホルス神が合体したラー・ホルアクティ(右)
7時30分コム・オンボ出航、9時船内でヒエログリフの講習会を聴講する。11時30分エドフ着
   エドフのホルス神殿 
ホルス神(オシリスとイシス神の子供でハヤブサの頭をした天空の神)を祭る神殿で、中庭のホルス像はエジプト一美しいと言われてる。BC237に建築が始まり、BC57年頃に完成した。
7時30分船コム・オンボを出航し、11時30分  エドフに到着した。 船着き場から2人乗りの馬車で10分揺られてホルス神殿に着いた。 途中車はいなく、3輪車かバイクだ。信号機もない。
   塔門:高さ36m、幅79mもある巨大な塔門には、ホルス神とハトホル女神の前で、敵を打ち据えるプトレマイオス12世が描かれている。  中庭と第一列柱室入口には
はやぶさの姿をしたホルス神の像が建っている
 中庭の第一列柱室入口にある、はやぶさの姿をしたホルス神の像。
この像は最も美しいと言われている。このホルス神がエジプト航空のマークとなっています
神像が被っている2重王冠は上下エジプトの統一を象徴するものである
 列柱室には、パピルスの巻物を納めた図書室や儀式用の道具を納めた部屋がある。奥に行くに従い天井は低く、床は高くなっている。  至聖所::ほの暗い空間に復元された船型の神輿が置かれ、奥にはネクタネボ2世(BC366~343年)の名が刻まれた祠がある。かっては最高位の神官とファラオしか入れなかった。
 至聖所の周囲はレリーフで埋め尽くされている。 土産物店
子供達も売りに来る。
唯一の交通手段の馬車。チップを要求される
 エスナの水門
13時30分アムワージュ号は出航し。18時に途中6~10mの水位の違うエスナの水門を通過。  

屋上船尾のプールサイド

通過中には、土産船が近づいて来て、マフラー、ストールなどを
投げて商売をする。

  20時30分よりガラベーヤパーテイ   
   
 現地ガイドのマホムド、フレンドツアー添乗員の石神さんと  ご一緒の皆さんと
ⅥP待遇 このガラベーヤもフレンドツアーからのプレゼント。売店で好きな柄を選んだ 

  ルクソール  
20時ガラベーヤパーテイをしていると、船はルクソールに停泊した。
6時モーニングコール、8時西岸に船で渡り、バスで王家の谷へ行き、13時に船に帰り昼食。
死者の町。王や貴族たちはこの地で生者に別れを告げ、壁画や棺に描かれた『死者の書』に導かれ、あの世へと旅立っていった。そして永遠の命を求めて眠りについた、古代人の祈りと願いが感じられる。
東岸から西岸の死者の町へ渡船で行く メムノンの巨像2体のアメンホへテプ3世(在位BC1386年 ~1349年)の像、高さは17.9m国は最も安定し王国の絶頂期でした。カルナック神殿やルクソール神殿を増改築した。右側の像が地震によるひび割れで夜明けに音を発するようになり、曙の女神の息子メムノンの名と結びつけられた。 ハトシェプスト女王葬祭殿へ電気自動車で
ハトシェプスト女王葬祭殿
は、紀元前1500年ころにエジプトで最初の女王となったハトシェプストのための葬祭殿で、崖を利用した3階建ての葬祭殿は、紀元前1500年ころの建造物とは思えないくらいモダンな建物です。
3階建で各階が広いテラスをもっている。3階にはオリシス(冥界の神=日本と同じく死者は右前?))柱が並んでいる
   
     
 アヌビス神は犬の頭をした神様。墓の守り神で、ミイラを作る             ハシェプト女王葬祭殿から望む王家の谷は
アヌビス神礼拝所には、アヌビス神の坐像や立像が描かれている。        草木の生えない死の世界だ
トトメス1世の娘であるハトシェプストは、幼少だった トトメス3世の摂政となったが、数年後にファラオを宣言して、エジプト初の女性ファラオとして22年間君臨した。ハトシェプストの死後トトメス3世は積極的に軍事遠征を覆ない、古代エジプトの領土を最大に広げた。

                                     王家の谷 はテーベ(現在のルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと、
古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中している。西の谷と東の谷合わせて24の王墓を含む64の墓が発見されている。
 新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によって自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、首都として栄えたルクソール。川を挟んで東岸と西岸に分かていて、太陽神が崇拝されていた古代エジプトでは、太陽は生と死、そして再生復活の象徴と考えられ、太陽が昇る東岸は「生者の町」、太陽が沈む西岸は「死者の町」とされ、東岸には神々を祀る神殿、西岸には墳墓が造られました。西岸の王家の谷には、歴代の王が再生と復活を願い墳墓を造営しました。ほとんどが盗掘に遭い当時の副葬品の豪華さは想像もつかないが、ツタンカーメン王の墓から出土した「黄金のマスク」にその一端を窺うことができる。

王家の谷付近では未だに発掘作業が行われている。 バスを降り徒歩で王家の谷へ 3つの墓の入場券が240₣E約1680円
ラメセス4世(在位BC1151~1145)の墓 全長66m。入口から玄室まで一直線につながる、この時代の墓の特色が見られる。両側にびっしりと描かれたヒエログリフ。 壁画の人物の目の部分がほとんど全て削り取られており、残念。
玄室の天井。青色が残る『昼の書と夜の書』の絵が素晴らしい 中央の女性たちは妻だろうかヒエログリフは絵として見ても美い。

ツタンカーメン王の墓
ツタンカーメン王 Tut-ankh-amen (アメンホテプ4世の娘の夫である)はエジプト新王国第18王朝のファラオ。アメンヘテプ4世の後、BC1346年わずか9歳で即位し、18歳で死んだ。
  1922年11月4日イギリスのカーナヴィオン卿の支援を受けた考古学者ハーバード・カーターによって発見、発掘された。ツタンカーメン王墓とし3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けなかった。王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土したその発掘は世界を大いに驚かせた。発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたという流言が世に広まり、それをきっかけとして『ファラオの呪い』という噂が広まった。。
脱酸素状態のケースに収容されて展示されているツタンカーメンのミイラ 
 
黄金の棺と玄室の壁画.1日のうち夜の12時間を表す12匹のマントヒヒ   ツタンカーメン王の黄金の棺と玄室の壁 副葬品の大部分は
カイロ考古学博物館に保存されている。
 

ラメセス9世(新王国時代在位BC1126~1108年)の墓
   
   
   
 『死者の書』(死後に再生、復活をする為の手順を書いた文書のこと)が
細かく描かれている
 太陽光線に導かれて昇天するファラオや透き通るような衣装が細かく
描かれている。

王妃の谷:ネフェルタリの墓を初め王族や高官の墓が約80基発見された谷

ネフェルタリの墓  
エジプト3大美人と言われているネフェリタリで、ラムセス2世(アブ・シンベル神殿を建設し王の中の王と言われた)の第一王妃の墓。1904年にイタリア人が発見した。
ラムセス2世の数多い(100人以上の)妃の中唯一自分の神殿(アブ・シンベル小神殿を持つ最も有名で美しい妻であった。彼女が13歳の時に当時15歳、皇位を継承する前のラムセスと結婚。そしてラムセス2世の長男アメンヘルケプシェフが生まれると、最初の正妃になったとされる。ネフェルタリ正妃としての在位期間は25年ぐらいだが、実際の活躍期は3年だけである。ラムセス2世即位5年後、彼女の姿はほとんど夫のそばから消えた。理由には、寵愛を失った、病気、また記録を失うなど、諸説ある。ネフェルタリは、第四王女をはじめ5人の息子と娘をもうけ、ラムセス2世即位25年ほどで世を去った。当時の彼女は48歳ぐらいで、この年齢でもう古代エジプト女性の平均年齢(40歳)を超えていた。彼女は死後王妃の谷Qv66に埋葬された。Qv66は王妃の谷の中で保存状態最も完全な墓であり、最も壮麗である

入場券は9800円もするが、入場時間は、僅か10分間であった。 ネフェルタリの墓への道路標識 カメラ撮影は禁止!スマホ撮影は無料!考えられない
 現在のチャッカーに似たゲームをする女王。  イシス(右)とネフティスの間にいる雄羊頭の神は、ラーとオシリスの結合を象徴し太陽の日々の死と再生を現している。  王妃を導くホルス神。女王を太陽神ラー・ホルアクティと西方の女神ハトホルのもとに王妃を導く。
       
神々の書記トトの前には、書記用のパレットと水差しが置かれている。王妃は死者の書に書かれた呪文を唱えて、これらとトトの持つ魔法の力を得ようとする。
ⅥP待遇
  壁画の損傷のために1日の入場者150名、
と1回10分間の入場時間の制限があり、特別許可を得たツアーのみが入場することが出来ができる。
イシス神に導かれるネフェルタリの壁画 王妃を迎えるラー・ホルアクティ。
     
 右から永遠の時を刻む神ヘフ、ミイラを守るイシスとネフティス。太陽神ラーの聖鳥アオサギ。地平線を示すライオン。
 ナイル川流域のエジプト、スーダン、イラクで使用される伝統的な木造の帆船が帆走している。 キャビンのバスタオルの芸術
13時にアムワージュ号に帰り昼食後、休憩し、15時~18時30分今度は東岸の生者の都へ行った。
 生者の都ルクソール東岸 
 ルクソールはエジプト帝国の首都としてテーベと呼ばれ、何世紀にも渡って栄華の中心にあったが、現在ではその面影をみつけるのは難しい。中王国時代のBC2000年頃から数度にわたって首都がおかれたが、BC672年の異民族の略奪を受けたことに始まりアレキサンダー大王遠征後のプトレマイオス軍により完全に破壊され、ローマの支配下の時代には街は瓦礫の山だったという。そのためか、この場所はローマ軍の駐屯地になっていたようだ
カルナック神殿。東岸のカルナック神殿は、アメン神と太陽神ラーが結合した最高神、アメン・ラーを祭るアメン大神殿を中心とするエジプト最大規模の神殿群。、ルクソール神殿はカルナック神殿の副神殿として建立され、
ラムセス2世は古代エジプトで最も有名なファラオで、アブ・シンベル神殿のみならず、世界遺産に登録されたカルナック神殿の大列柱室、ルクソール神殿の塔門なども建設した。
第1塔門を入ると第1中庭があり、そこから第2塔門と大列柱室が見える こんな太い石の柱が134本も何の目的で建てられたのであろうか?
  権力や富の誇示か。神であることの証明だろうか?
       
トトメス1世とその娘のハトシェプスト女王の巨大なオベリスク。
3本あった1本はパリのコンコルド広場に建っている。

手前はスカラベ(黄金虫)の彫刻、人々が何回も廻っている。
 オシリス神のポーズをとるラメセス2世と私。
死者は日本と同じく左前。
パピルスの柱は高さ15m、王や王妃や神の姿のレリーフ、ヒエラグリフ、カルツーシュで埋め尽くされている。   ハトシェプスト女王がアメン神とトトメス1世に捧げたオベリスク  ヨーロッパ各地にはエジプトから持ち出されたオベリスクがたっている。
ライトアップされたルクソール神殿
カルナック神殿から南へ2.5Km、ルクソール神殿がある。アモン(アメン、アムトとも言う))とそのムート神を祭った神殿である。
ルクソール神殿正面の入口両脇には巨大な大理石坐像と左側に高さ25mの巨大なオベリスクがある。 当初はスフィンクスが並ぶ約3キロの参道でカルナック神殿と
結ばれていた。
アメヘテプ3世の中庭:64本の閉花式パピルス柱が64本建っている。 ルクソール神殿の中にイスラムのモスクがある。 夕食後は船内でベリーダンスショーがあった
翌朝は4時モーニングコール、5時30分3泊4日お世話になったアムワージュ号を下船し、ルクソール空港へ、ルクソール7時30分発MS052便でカイロへ、カイロ考古学博物館観光後、VIP待遇 カイロ国際空港ホテルにチェックインし、一眠りと夕食。23時40分カイロを離陸し、食事も取らずに爆睡した。目が覚めると日本海上空。隠岐の島通過後に食事が出た。食事が終わると早くも降下体制に入り飛行時間11時間(帰りは偏西風にのり3時間早く着いた)で成田空港に予定より早く18時前に到着した。

今回の旅で食事は取り立てて美味しいものは無かった。肉だけは硬くて食べれなかった。また魚は川魚がほとんどであった。野菜と果物は美味しかった。
 レンズ豆のスープ  茄子と挽肉の重ね焼き  

  古代エジプトの神々  
日本の八百万の神と同じような千の神々である古代エジプトは、
ファラオが亡くなると、その魂は天空の王国へと昇天する。そこで身を清められて天の統治者になったと言う。また冥界の支配者オシリス神になって復活するとも言われた。

オシリス 兄妹・夫婦 イシス
     ラー
太陽の神、創造の神
日輪を頭にいただくハヤブサ
    アメン
主にテーベで信仰された創造の神
    アテン
アメンヘテプ4世が信仰した1神教の唯一の神
      アメミト
死者の書に描がかれている心臓を食べようと待ち構える怪獣
     
セト
荒ぶる砂漠の神、正体不明の動物
   セベク
ワニの顔をした神
   アヌビス
死者の守護神。ミイラつくりの神でもある。狼の顔。顔が黒いのは死者を写している
 
   
豊穣の神から冥界の神になった
子供
魔力を持つ大女神
オシリスの妹であり妻
ホルス
ハヤブサの頭をした天空の神

 

  古代エジプト英術は、頭と足は同じ方向をみいており、体は正面に向いて描いている。