遥かなるエジプトナイル川クルーズ エ ジ プ ト 世界最古の文明
 日本の遺跡は、青森県三内丸山遺跡が日本最古の今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡。また吉野ケ里遺跡が弥生時代(紀元前3世紀から紀元後3世紀)最大の環濠集落である。これに比べてエジプト文明は、BC3000年頃から始まり、BC2686年にはギザの3大ピラミットが建設されている。今回は阪神航空フレンドツアー『遥かなるエジプトナイル川クルーズ8日間』に石神添乗員の案内で僅か8名で参加した。
 フレンドツアーへの支払いは一人旅なので80万円余り。でも特典VIP待遇には感激。1.ホテルが1869年オープンの広大な立派なギザのメナハウスホテル。アブ・シンベル セテイホテルはアブ・シンベル神殿に最も近く、昼間にはホテルの小型船で、夜には音と光のショ―と翌朝には朝日に輝くアブ・シンベル宮殿を3度見学出来た。船はデラックスクルーズ船アムワージュ号はバス、トイレ付きの20㎡のツインの船室、アルコール類も飲食物はすべて無料。朝食は一般のバイキング以外に、日本食レストランのシェフが来て我々8名のために日本食を作ってくれた。お味噌汁、肉じゃが、干物等。帰国はカイロ23時50分発であるが、カイロ国際空港ホテルにチェックインし、夕食とひと眠りが出来た。2.ギザのスフィンクスの足元まで特別に入場出来た。最も保存状態の良いネフェルタリの墓とスタンカーメンの墓にも特別入場出来た。3.エジプト考古学博物館では写真撮影禁止のツタンカーメンの黄金のマスクとの記念撮影付であった。4.7日間の現地ガイドは、国立カイロ大学卒業のベテランガイドの案内でした。いかなる質問にも正確丁寧に回答してくれた。
 紀元前3000年古代エジプト文明はナイル川沿岸で誕生した。紀元前2686年にはギザの3大ピラミットが盛んに作られた。1550年から1068年頃が新王国時代と言われた最も栄えた時代であった。その後は異民族の侵略や支配を受け、BC30年クレオパトラ7世がローマ帝国に敗れて自殺したことで、古代エジプト文明の歴史は幕を閉じた。1798年ナポレオンのエジプト遠征中に、兵士が砦を築いていた時に、『ロゼッタ石』を発見し、シャンポリオンによってヒエログリフが解読された。これにより5千年の歴史が蘇り、世界の文明に注目が集まった。BC4242年シリウス星を観察して夜明けとともに地平線に昇る日を洪水の始まりとして、1年を365日、1日を24時間とした正確な暦を作り出した。パピルスに、ヒエログリフで書き、麻の衣服を着て、貴金属で身を飾り、絵画や彫刻など高い文明社会を作っていた事が解読された。。

カイロは沖縄と同じ北緯。1エジプトフランは7円。時差-7時間。VISA25USドルを空港で支払った。国民の90%はイスラム教徒であり、1日中何度もコーランが聞こえた。
  成田からカイロへ。エジプト航空MS0965は21時30分成田を離陸し、隠岐の島、新羅,、仁川、西安、新疆ウルムチ、(イランとイラクの北を回って)トルコ上空を通過して14時間でカイロ国際空港に4時20分に着陸した。
エジプト航空はエジプト・カイロを拠点とするエジプトの国営航空です。宗教上の理由から、肉料理には豚肉を使わず、また、アルコールサービスがないので、ビールを機内への持ち込んだ。愛想のないクルー達。ビジネスのシートは長いが幅は狭い。ビデオは日本映画なく、日本語のアナウンスもない。
 入国審査後バスで20Km40分。5時30分にギザのメナハウスホテル
に到着。ホテルで朝食と休憩をした。
   ギザのピラミット 
狩猟用の別荘が前身。1869年オープンの広大な立派なメナハウスホテル。
 ホテルから望むとクス王のピラミットが目の前に迫る 食堂
クフ王(BC2604~2581)、カフラ―王(クフ王の子)、メンカウラー王(孫BC2539~2511)の3つのピラミッドが並んでいる。 重い石を木製の起重装置で運んだとされていたが、今では周辺にスロープを作り、ソリで運んだという説が有力。カフラ―王(クフ王の子)のピラミットは、上部に石灰岩による化粧石が残っている。
数々の推測が飛び交う中、いまだ多くの謎に包まれたピラミッド。古代人の叡知とエネルギーの集大成.
 
       間近で見ると、積み上げられた1つ1つの石の巨大さに圧倒される。
現在高さ138.74m(もとの高さ146.59m)、底辺230.37m、勾配51度、容積約235.2万m3で、平均2.5tの石灰岩を約270万-280万個積み上げたと計算されている。 
 
 クス王のピラミット  中は狭い急な階段を登る、頭を再々打つ。

ゼーハー、ゼーハー言い、汗をかきながら辿り着いた王の間は、壁画のない壁、蓋のない赤褐色の花崗岩の石棺があるのみ、ミイラや副葬品はない
 


  普通は入れない スフィンクスの足元 に特別に入場が許可された。偉大なる フレンドツアー
ギザの三大ピラミッドといえば、スフィンクスを従えてそびえ立つ姿は有名。全長約57メートルのスフィンクスは、ギザの守り神ともいわれており当ツアーでは足元に入場し特別観光が出来た。
 
 
   ⅥP待遇我がグループ―プ8名のみの特別入場
全長約57m、高さ20mのスフィンクスは、ギザの守り神
一つの岩を掘って造ったと言われている。
           足の間にある『夢の碑文』
まだ王子だったトトメス4世の夢の中にスフィンクスが現れ、「砂を取り除いてくれたら王位につけるだろう」と予言。
 4年後王位に就いたトトメス4世(BC1719~1386)は夢を思い出し、スフィンクスの周りの砂を取り除いて修復した。という物語が象形文字(ヒエログリフ)で書かれている

太陽の船博物館  
     
 ピラミッドの南側で発見された世界最古の木造船  発見当時の再現  王が太陽の神として死後に乗る船

パピルスのお店に行った。 パピルスはPaperの語源である
 
 パピルスから紙つくりの実演する現地ガイド             購入したパピルスに描かれた『死者の書』                 と                          栞
 葦の一種であるパピルスの茎の皮を剥ぎ、薄く切り、これを川から汲んだ水に2日ほど漬けると、細菌により繊維が分解され、これを縦横に置き、更に布で覆い、槌で叩き組織を潰して2~3日圧縮脱水し、乾燥させ、3~7日陰干しすると出来上がる。世界最初の紙。
心臓の重さを量っている絵: 古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書が『死者の書』です。当時のエジプト人は『人が逝去されても異世界で生き返り神の元に行く』説を信じていました。そのためには条件が2つあり①器(肉体)を腐らせてはならない。よってミイラを作った(1体にかかる日数70日間)②道案内が必要。そこで死者の書をもたせた 。道案内図として『死者の書』という巻物を棺に入れた。死者の書の目的は、神のいる楽園へと向かうための道案内図の役割を果たすのです。
最大の難関は道なりに42の神が待ち受けて尋問をしてくることです。その尋問は生前の自身の行いに関わること、1. 不正 2. 略奪 3. 暴行 4. 窃盗 5. 殺人 6. いんちき 7. 偽善 8. 窃盗 9. 虚言 10. 食物泥棒 11. 悪口 12. 攻撃 13. 殺生 等々42問に『私は悪いことはしていません』とすべて否定文で答えなければならない

 『死者の書』の天秤の真ん中にいる黒い犬の頭の半獣の人物は、秤の目盛りを見る役割のアヌビス神です。天秤には向かって左側に自身の心臓(イブ)、右側には『マアトの羽』(マアトと呼ばれる古代エジプトの女神が、 頭に挿しているダチョウの羽)が乗せられている。。この羽と心臓の重さを比べ楽園に相応しいかどうかを審判されます。中央の朱鷺の頭を持つトト神が記録を取っている。
 心臓が罪で羽より重かった場合は、鼻の長い『アメミット』という幻獣に食べられてしまい、楽園への道は閉ざされます。
 心臓が羽より軽かった場合は、死者が真実を語れば、ホルスによって永遠の命が授けられることが告げられ、オシリスの治める楽園アアルへ導かれる。王は神とされ、それが権力の維持に一役かっていた。

今回のお土産は上のパピルスの死者の書)と栞と下記の品々だけでした。
 エジプト綿のポロシャツをオーダーした。 前にはツタンカーメンのワンポイント。
後には古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)で名前が刺繍されている。孫は大喜び

ガラス細工のラクダの香水瓶
古代エジプトの3大美人と言えば、BC1世紀のクレオパトラ7世、BC13世紀ラムセス2世の正妃ネフェルタリ、そしてBC14世紀のネフェルティティ(ツタンカーメン王の義母)があげられる。 ツタンカーメン(エジプト考古学博物館に展示)と
ネフェリテイテイの像(アマルナ美術の代表作で、
現在ベルリン博物館にある。)のレプリカ

カイロ国立考古学博物館
1902年に開館した。100以上の部屋があり、展示物は20万展に及ぶという。

2階から見る1階のフロア




 ⇦⇦台座はアスワン産花崗岩、帽子から紐でつるした付け髭、短いスカートを履いて、カルト―シュがついている判子を「持った姿です。
階段の踊り場にはたくさんのパピルスに描かれた絵『死者の書』がある ラムセス2世像(BC1314~1224年)
無花果の木で作られた村長
石英の目が銅の瞼にはめ込まれている


パピルスの厚紙を持つ書記像
書記は、役人であり、一般の人よりも高い地位にあって、最も高貴な職業と考えられていた。
ミイラ室は別料金180エジプトフランが必要で、ここにはラメセス2世やトトメス3世を初め王や王妃のミイラが、黄金の人型棺入れられて多数あった
 
 左  メンカウラー王(BC2539~2511)の三柱像

 ハトホル女神と背の低い女性(州の守護女神)を左右に従えている。玄武岩に彫られており、ハトホル女神の頭上には日輪と牛の角が見られる
             
   歴史から抹殺された少年王ツタンカーメン

1922年すべての墓を堀つくしたとされていた王家の谷で、考古学者のハワード・カーターはツタンカーメン王のほぼ未盗掘の墓を発見した。
BC1350年生まれ、王位9年、17歳で亡くなった少年王は、極端な宗教改革を行った先代の王アクエンアテンと共に異端視されたらしく、歴代のファラオ(王)の名に記された王名表から名前が消されている。そのために、長い間その存在すら忘れられていた。奇跡の発見により蘇ったツタンカーメンは世界で最も有名なファラオとなった。

   ⅥP待遇
ツタンカーメンの部屋では写真は厳禁ですが、
ツタンカーメンの黄金のマスクと写真を撮ってくれた。
 
ツタンカーメンの黄金のサンダル
エジプトの昔からの敵であるアジア人とヌビア人が描かれていて、王が敵を踏みつけるようになる。
   ツタンカーメン王の黄金の玉座
若きファラオに妻のアンケセナーメンが香油を塗る姿が描かれている。二人の頭上には太陽の神アテンが輝いている。

       カノピスの壺
ツタンカーメン王の臓器(肝臓、肺、胃腸などが入った壺
 
            カノピスの厨子
 カノビスの壺はこの厨子の中に収められていた。4面には手を広げた女神たちが守っている。この厨子は更に3箱の金泊張の厨子に入っていた。
 

   
 アヌビス神:ミイラつくりをする神官や死者の守り神
厨子の上にうずくまり、いつでも敵に飛びかかれるように耳をピーンと立ててお腹を浮かせている。目は黒曜石、爪は銀で、体は部分的に金箔が貼られている。
   ツタンカーメンの法座
折りたたみ式になっている。金メッキが施され、貴石や鉛ガラス、象牙をはめ込んである。上段の中央には王のカルトウーシュの上にアテン神の日輪が描かれている。
 ツタンカーメンの等身大の金木像
、   

 アブ・シンベル 
ギザのホテルを5時出発し、7時30分カイロ空港を離陸し、1時間30分でアスハン空港に到着した。ここは台北とほぼ同じ北緯にある。
水の安定供給と水力発電の目的で1964年ソビエトの援助で建設されたアスワンハイダム。長さ3830m、高さ111mエジプトの消費電力の20%をまかなっている。
左遠方には建設記念碑がある。 ダムの中央の標識 北方面(下流)に流れるナイル川 南方面(上流)のナセル湖


これ湖?池?
3重に見える湖?水辺には草木が全くない!
実際は何もない!バスで進むと消えてしまった。
何と生まれて初めて見る蜃気楼!!
建設記念碑 総勢10名の乗ったベンツ製バス。
サハラ砂漠270Km走行中に唯一の茅葺のPA

 スーダンの国境近くまで、サハラ砂漠が続く、3時間30分のドライブ アブシンベルに近づくとサハラ砂漠の中に、ナセル湖から水路を作り、開拓村の建設が進んでいる 
 アブ・シンベル(地中海から1500Km離れている)神殿はラムセス2世(BC1290~1224年)が建設した巨大な岩窟神殿である。ラムセス2世は、古代エジプトで最も有名なファラオ。当時には稀な180センチメートルもの長身で、20代で即位し、果敢に外征を行い征服王として名を馳せました。それだけ自己顕示欲も強く、自分の名前を刻んだ神殿や自らの像をエジプト中に建てた”建築王”と言われている。世界遺産に登録されたカルナック神殿の大列柱室、ルクソール神殿の塔門など、多くの建造物を残していますが、なかでもナイル河岸の岩山をくり抜いて造られ、太陽神ラーを祀る大神殿と、王妃ネフェルタリのために建造された小神殿からなるアブシンベル神殿は群を抜く規模で偉大なるファラオの象徴です。
1960年アスワンハイダムの建設によって、湖底に沈むのをユネスコの援助により、 神殿は小さなブロックに切断され、北へ64m、西へ110m、上方へ60m、5年の歳月をかけて移動された。
13時過ぎにホテルに着く。ホテルの裏からナセル湖遊覧へ、 湖上から見るアブ・シンベル セテイ ホテル アブ・シンベル小神殿。船頭は裸足でガラベーヤを着ている。
     
 高さ32m、幅38mの大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並んでいるのは家族の像である。  小神殿は、ハトホル神と王妃ネフェルタリに捧げた神殿  ナセル湖上から見るアブ・シンベル大神殿と小神殿
  アブ・シンベル セテイ ホテル 
     
 食堂の入り口にはツタンカーメン王の像がある 落ち着いたホテルの部屋225US$  ホテルの庭での落日
  ライトアップされたアブ・シンベル神殿での音と光のショー 
18時~19時30分
 
 22歳で即位し90歳で没するまでの、左から青年期から右へ壮年期のラムセス2世の像が並んでいる。足元には王家の人々の像がある。  立像が6体。4体は王、左右2番目の2体は最初の王妃ネフェルタリ
脇には王子と王女を配置している。100人の側妃がいたと言う。
 
   5時ホテルからバスで出発!朝日に照らされるアブ・シンベル神殿へ  
 6時から開門。待ってる人がすでにいる。  ナセル湖から登る太陽、  朝日に輝くアブ・シンベル神殿
 大列柱室  至聖室  
年に2回神殿の奥まで日の光が届く。
神殿内部に入ると列柱室があり両腕を組み合わせたオシリス神のポーズをとるラムセス2世の像が4体づつ2列並び、後ろに9m柱が並んでいる。1月24日には朝日はここまでしか射していない。
 年に2回ラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)に神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体(右から太陽の神ラー、神聖化されたラメセス2世、王の守護神アメン・ラー、冥界の神プタハ)の像の内、プタハを除いた3体を明るく照らすようになっている 壁や柱には、レリーフが描かれており王妃とラムセス2世が対等に描かれているのが印象的。 内部の壁画は素晴らしく保存状態も良い。 

  アスワン       
ナイル川の急流にあり、川下から来た船は先に進めず、ここで船を降り、陸路を辿るしかなかった。そのためここは南部地域への玄関口となり、エジプトと隣国ヌビアとの国境となった。国が繁栄したラムセス2世の時代には、さらに上流のアブ・シンベルまでがエジプトの領土だったが後世にはエジプト全土がヌビア(スーダン方面から)に制服されてしまった。
アブ・シンベルからバスで260Km3時間30分サハラ砂漠を走り、アスワンに12時戻った。アムワ-ジュ号に乗船し、昼食後にアスワン観光へ

3泊4日乗船するアムワ-ジュ号
4階のツインベットの船室バストイレ付20㎡
アスワンからフェラエ(アギルキア)島へ古いダイハツのジーゼル船外機で渡る。この島は『ナイルの美しい真珠』と称えられていたが、アスワンハイダムの建設により水没の危機に瀕し、イシス神殿を初めとする遺跡がフィラエ島へ移築された。
イシス神殿:イシス女神に捧げられた神殿はプレオマイオス王朝(BC305~30首都はアレクサンドリア)から古代ローマ時代に建てられたが、550年頃にローマ皇帝の命により閉鎖された。 入り口に並ぶ2体のライオン像は日本の狛犬と同じ、メソポタミアがルーツだと言われている。
     
 プレオマイオス王朝時代の壁画    
     
 トラヤヌス帝のキオスク:未完成のキオスク(小さな建物)
神々とトラヤヌス帝のレリーフが描かれている。
 ここの船頭は裸足で民族衣装ガラベーヤを着ている。  アスワンへ船で帰って来た。
     
香水瓶のお店。                       ガラス細工の実演                           ラクダの香水瓶を買った。香水はバラの香り
   
 ファルーカに乗った。一枚帆で上手に風を整流して風上に登て行く。
湖の西側は貴族の墓がある。
 綺麗な船室。 今話題のダイヤモンドプリンセス15万トンより広い  夜は船内で民族衣装を着て踊のショウ―があった。