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八丈中央道路 |
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陣屋跡の玉石垣が積み上げられた坂道を歩く、 |
昔の島の暮らしが偲ばれる場所になっている。 |
大里地区にある陣屋跡の玉石垣は、玉石垣の六方積みという手法で規則正しく積み上げられています。 |
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大坂トンネルへ |
大坂トンネルから見る八丈小島と八丈富士。こんな快晴は少ない |
島一周道路沿いのビロウヤシの並木 |
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八丈島の公式な流人第一号は、慶長5年関ヶ原の戦いに西方石田三成方に属した宇喜多秀家と正室であった豪姫(初代前田利家とまつとの間の4女)、その後流人の島として多くの人が来た。生活は自由であるが、島抜けは重罪であったが、実際には不可能であった。 |
南原千畳岩海岸からの夕日
黒い溶岩が固まってできた石がゴロゴロしている |
八丈島の文化は、漂流、漂着そして流人の文化と言われている。
古くから日本のみならず、黒潮にのって、秦の始皇帝の徐福伝説から、、 八丈島の人々はこれらの人々を温かく保護し続けてきた。 |
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2泊するりドオ パーク リゾートです。 |
エントランスが長く綺麗だ。 |
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昨日は八丈富士(854m)を中心に右回りの観光だった。2日目今日は三原山(700m同名の山があり、間違えやすい)を左回りに半周観光しました。
まずは都立八丈植物園 |
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広大な敷地に南国ムード満点の八丈植物公園 |
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スダジイ:福島県以南から朝鮮半島原産。常緑高木で、日本の温暖林の主要樹種です。樹皮は黄八丈の黒色の染料に使われる。 |
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この鹿はキョンと呼ばれ、小型で台湾から中国南部に生息しいる。
島では、ここでのみ飼育されている。
島民の人口8,300人を上回る11,000頭と推計した東京都では2007年度から毎年1,000頭のペースで捕獲しているが、駆除しても毎年15%の割合で増え続けているとみられ、都は大幅な防除計画の見直しを迫られている。明日葉の被害が大きい。
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雨が多ために苔が蒸している。湿度が高い |
明日葉:今日葉を摘んでも明日には新しい葉を出すことから『明日葉』の名がついた。削り節、明日葉茶、明日葉生八つ橋からカレー、飴、パスタ、ビールまである。青汁の原料 |
亜熱帯の植物が多く咲いている。名前を忘れてしまった。
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ハイビスカス |
フウリンブツソウゲ:ハイビスカスの一種 |
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カカオの木:幹から直接花を咲かせる。
ココアやチョコレート等の原料になる。 |
八丈服部屋敷
江戸時代に流人や漂着者、江戸と八丈島を往復した御用船の乗組員たちにより伝えられた各地の唄や踊りを島人達が八丈ならではの盆踊りに綴り合せたものです。
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くさやは、江戸時代の昔から受け継がれた味で、あじやトビウオなど八丈島近海で獲れた魚を保存食として塩をまぶし、天日で干す加工法を利用していたが、貴重な塩を節約するために、同じ塩水に何度も魚を漬けているうちに、塩水に魚のエキスが加わり旨味の成分が溶け込んだ塩汁(くさや汁)が出来たと言われている。 |
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昼食は味噌麦雑炊・あら汁・明日葉のこんにゃく・
明日葉のお浸しなどの郷土料理 |
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太平洋を見ながらの足湯 |
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シルクのネクタイ 16,500円 |
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黄八丈のネクタイと木綿のハンカチ |
黄八丈の染元での説明 黄八丈は黄色,樺色、黒色の三色を基調とした絹織りものです。染料は島内に自生している植物の草木染で、黄色は八丈刈安(コブナ草)、樺色は(タブの木)の樹皮、黒色は椎の木の樹皮と沼浸けで染めてゆきます。媒染は榊、椿の灰汁などによって鮮やかな発色が生まれます。孫の代まで色あせないと言われる卓越した染色技術です。江戸時代には米が取れないので、年貢のかわりに貢納布として幕府に収めていたので、江戸では人気を誇ったそうです。 |
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裏見ケ滝 |
名古展望台: ここに回天基地があった。
太平洋戦争末期に、行きの燃料と積めるだけの爆弾を積んでここから米軍の艦隊めがけて突撃した人間魚雷です。
山口県周南市大津島にも回天基地があり、安倍晋三元総理の父
元通産大臣安倍晋太郎氏の『太平洋の黒潮に偲ぶ』の回天碑がある。
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登竜峠 |
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底土海水浴場。波が荒い |
ふれあい牧場 |
八丈島空港を離陸した富士ドリーム航空は1時間30分で広島空港へ |
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