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山鹿灯籠まつり 女性の頭に載せた金灯籠が、ゆらりゆらりと揺れる幻想的な美しさの山鹿灯籠まつり。是非行って見たくなった。 山鹿灯籠の由来は、色々な説があるが、次の説が一般的のようである。1300年の昔、第12代景行天皇が九州巡行の折り、菊地川を溯って山鹿に上陸しようとしたが、辺り一帯に白霧が立ち込み、天皇ご一行の行く手を阻んだため、山鹿の里人がたいまつを掲げて案内したと云われている。その時以来里人は、行在所跡(大宮神社)に天皇を祀り、毎年灯火を献上したのが、灯籠祭りの起こりと云われている。
八千代座(明治44年完成、平成13年改修完了) 9月、10月の土曜日の夜、”山鹿風情物語”が開催されている。幻想的な山鹿灯籠踊と勇壮な山鹿太鼓の競演が楽しめる。
よへほ節は、明治以降地元で愛誦されている民謡で、八月十六日の灯籠祭の夜、山鹿灯籠踊りに合わせて歌われる。その発生が明治以降の事でもあり、民謡と言うよりむしろ俗謡系に入る三味線唄で、昭和八年(1933)野口雨情に歌詞の改作を依頼してできたものが、今日のよへほ節である。歌詞の最後につく「よへほよへほ」という囃子詞から来たものである。
山鹿太鼓
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山鹿の豊前街道めぐり 平安時代から名湯の里として人々が集まり、菊池川沿いの農作物の交易が繁栄をもたらした山鹿は、江戸時代には参勤交代の豊前街道(肥後熊本から筑前博多を通り豊前小倉に至る)としてさらに繁栄した。 夏塩沢の着物に絽駒の袖無し羽織で出掛けました。
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