2004年5月
 5月30日31日えひめ町並み博へ行きました。
25年前、子どもたちを連れて見に行った銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトの作家、松本零士氏(伊予観光大使)が、町並博のために描いたそうです。999号の旅の途中、メーテルと鉄郎のふたりが初めて南予の町に降り立った、というコンセプトで作成したこのポスターは、今と昔、変わらぬ佇まいを伝える町並で、不思議な時空の旅をするふたりの姿を描いており、過去から現在、そして未来へと、旅人をあたたかく包み込む南予の町並の、いつまでも変わらないイメージを伝えています。 14時45分柳井発松山17時15分着フェリーで、
ご機嫌な二人。
内子町に宿泊し、翌日内子町と大洲市内を
観光して帰って来た。
内子町  江戸時代中期(1738年)から大洲藩の殖産興業として、蝋作りが始まった最盛期は明治35年〜39年、晒蝋生産は、愛媛県が全国一位を独占、内子町はその70%を占める一大晒ろう生産地となり全国に名をはせた。しかし この栄華は短く、大正10年に消滅した。
大正時代に建てられた芝居小屋。
昭和60年に修理復元された内子座。
商いと暮らし博物館
大正10年ころの薬屋の暮らしを再現している。
江戸時代から明治時代の商家が約600mにわたって残りる。袖うだつ、虫籠窓、床几(しょうぎ)など漆喰の土蔵建築が見られる。

内子産の竹と五十崎町産の和紙を使い、町内ただ一人和傘を作っているそうだ。珍しい笠に興味深い一樹

大洲へ
加藤家6万石の城下町として和紙や製糸などの産業が栄えた。伊予の小京都と呼ばれている。
おおず赤煉瓦館
明治34年大洲銀行として建てられた建物
”おはなはん通り” 暑い、暑い、でも一樹は全部歩いた。
紗希何をしているの?”   ”

臥龍山荘の臥龍院にて”オンブオカケの真似だ” 庭園にて ”一樹危ないよ””僕、手を洗っている”by一樹
もうすぐ柳井だね。