湾岸急行船の景勝地 南航路と北極圏の冬景色10日間
                                     
 2024年2月20日から3月1日にワールド航空主催の旅(比企さん)に参加しました。2月は昼と夜のバランスが良く、日中の観光と夜のオーロラのどちらも楽しめる絶好の月です。また今シーズンは11年周期と言われる太陽活動の極大期です。この間5回のオーロラチャンスに挑戦しました。   湾岸急行船は元々は陸路で訪れにくいノルウエイー沿岸部や諸島の34の港町に物資を届け、当時最大の輸出品だった鱈を運搬するために不可能と言われたルートを開拓し、運搬するのが始まりでした。いつしかこの航路の美しさが世界中に広まり、旅人のあこがれの船になりました。近年は新造船が増え観光船としての整備が整ってきました。
ノルウエイーの北東端・キルケネスからベルゲンまでの20,000Km南行航路をノールキャップ号に乗船しました。
    ノールカップ号はヨーロッパ最北端の岬に因んで命名されました。1996年に建造された11,000トンの中型シップ。2016年リノベーションされ、モダンなスカンジナビア・インテリアに生まれ変わりました。
11,389トン、全長123m、全幅19m、590人乗り、7デッキ
1996年造船、2016年改造
普通は10〜12u、スイートは25〜26u。
スイートキャビンを1名で利用したので624千円の追加支払い、快適な船旅をしました。
ノルウエイークローネは14.2円
ユーロ―は160.7円、2024年2月現在
 北極圏とは、北緯66度33分以北を言い、北極圏では夏は日が沈まない白夜、冬は日が昇らない極夜です。

私が昭和40年代にヘルシンキに行った時代は、アンカレジ、ヒュースローで給油し、26時間もかかりました。今回は12時間50分でヘルシンキに到着
 
   第1日目23時05分フィンエアは 成田国際空港を離陸した  千島列島やカムチャッカ半島にかからなように北上し、アラスカ上空からベーリング海峡、北極海を横断し、北点を、スバールバル諸島上空を通過し、   ヘルシンキに4時55分、時差7時間、所要時間は12時間50分を要して着陸した。、帰りは13時間20分(ソビエト上空を通過していた2022年3月以前は9時間)もの長旅でした。
   
 ヘルシンキを6時40分に離陸しフィンランド最北のイヴァロ空港に8時間17分で着いた。 時差は-7時間ここは北緯68度36分北極圏(北緯66度33分以北)。 
北大西洋暖流と湿度が低いために体感温度は思っていたほど寒くはない.3名のスーツケースが届かない!添乗員さん大活躍
     
こんな道をバスは飛ばす、対向車があっても平気、イナリに13時到着  サーミ博物館:サーミとは北欧北極圏に住む先住民、トナカイの遊牧民です。
エスキモーは、ロシアの北東からアラスカ、カナダに住んでいるモンゴロイド系です。 
   
 民族衣装と工芸品が美しい  ホテルの周辺  人口7千人、トナカイ15千頭      夜−20度、雪イナリ湖の畔で三脚に一眼レフ、バブル設定でオーロラ観測に耐える。
  第3日目  
 8時にイナリの」ホテルをバスで出発し  国道とはいえ道は凍っているが、バスは速い。国境を越えノルウエイーに時差は−8時間 国道をトナカイがの先導で国道を徐行。時間を−1時間にする
 11時キルケネスに着く。ここはフティルーテンの出発港。ロシア国境から7Km。人口3300人、1950〜70年鉄鉱石の露天掘りで繁栄した町。町の中心部、商店が並び奇麗な店が多い。
                                                                            12時30分沿岸急行船NORDKAPP号に乗船し、ベルゲンまで5泊6日の船旅に出港した。 
 船はユーラシア大陸の北の端、ノールカップに向かて北上する。 今回の旅行代金は235万円(ビジネス利用118万、スイートキャビングレードアップ624千円、ホテル2泊個室追加30千円) +α
  16時ヴァルド―に寄港する。もう暗い ヴァルドー 要塞へ10分徒歩で向かう  ヴァルドー 要塞 ;ロシアに向けられたドイツ軍の砲台です
 1306年に建てられたが、現在のは1734年に建てられた、第2次世界大戦ではドイツに占領され、ロシアとの激戦地であった。  17時出航 
 第4日目 
 10時7Fデッキでエネルギーコーヒーサービス(コーヒーにココアとショウガが入ったもの)ハンメルフェストはLPGガスが主な産業である。
よってエネルギーの町という事か。
 11時ハンメルフェストに寄港、バスで市内観光  
1816年から1855年に掛けて子午線孤長の三角測量をここハンメルフェスト(ノルウェーの北緯70度、東経23度)から南端のウクライナまで2,800kmに達する三角地点群で計算した。この碑は測量事業の完成を祝して建てられた記念碑で、世界文化遺産に指定されている。明石は、135度÷(360度÷24時間)=9時間となる。素晴らしい計算ですね。なぜここが世界標準時にならずにグリニッジ天文台を通る子午線が世界標準と決められたのでしょうか?
博物館で生活や子午線について  町を見下ろす高台  世界の子午線の制定に繋がった世界遺産シュウトルーヴェの測定地
何故グリニッチがゼロ度になったのか?明石は135度
 
 対岸より見るNORDKAPP号  12時45分ハンメルフェストを出航し、  
   
14時セロイヤ島とセイランド島との狭いセロイスンデ海峡を航行する。  雪の積もった白い岩山が聳え立つ大自然  23時45分トロムソ島に着く
     
 
トロムソ大聖堂
 北緯70度のトロムソは、北極圏最大の町で、空港もある、島と本土とは長さ1036mの橋、または3.5Kmの海底トンネルで繋がっている。
世界最北の大学は1968年に創立され、1万人の学生が在籍している。                                      
 8世紀から11世紀までヴァイキングが活躍し、1千年にはヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に到達している。              
19世紀後半以降は、北極探検や極地研究の基地として重要な役割を果たしてきた。アムンゼンはここから出航し、1905年北西航路に成功し、南極点にはスコットより5週間早く、1911年世界最初に踏破した。  
午前0時から1時30分まで教会でノルウェーの民謡、シューベルトのアベマリア、チャイコフスキーのくるみ割り人形よりピアノソロなどの演奏会が行われた。パイプオルガン、フルート、ソプラノ歌手の3人の演奏で495NOK8000円でした。我がワールド航空旅行クラブは、私以外誰も行かない。
 第5日目 
 8時ハシュタットに寄港  バスで島内見物、道は悪路  トナカイが道端で草を食べている。
   中世1400年建造の教会トロダネス
元はカトリック教会でしたが、宗教改革によりルター派の教会となり、壁は白く塗りけられました。
 土葬の墓場    神父さんのお説教はノルウェー語で、理解不能
 サーミ人の住居跡  家の中、日本の縄文時代と同じく真ん中にかまどがある。  鱈の干物造り
     
 ハシュタットで下船し、途中フィーヨルドをフェリーで渡り、ソルトランから乗船する  フィーヨルドをフェリーで渡る。  ソルトラン港には既に船がついている。13時出航
   
14時15分 ストークマルクネスに寄港: ストークマルクネスはフッティールーテン生誕の地、フッティールーテン博物館には、130年の歴史を誇る沿岸急行船が展示されている  
  16時ラフステンデ海峡を通過 夕焼けが素晴らしい景色だそう。 氷河の浸食によって削られた大地が水没して出来た地形が20Km 
   
20Kmにわたり1000m級の山々が続きアルプスの頂上を海に浮かべたような景色 幅80mのトロルフィーヨルドの入口、風雨強く入れない。 
18時30分〜20時30分スヴォルヴァ―寄港の予定だったが、風雨強く着岸できず。 スヴォルヴァ―は、ロフォーテン諸島最大の港町、1918年港が開かれて以来、交通の要所として発展してきた。
Magic Ice氷の彫刻のギャラリーで、全てが氷でできているバーがある。戦争博物館がある。ローフォーテン諸島周辺の海域は有数の漁場としても有名です。昔から冬の鱈魚が盛んに行われており、乾燥した鱈はヴァイキング時代の大切な保存食でした。干し鱈の産地として有名。新鮮な鱈5Kgが干すと1Kgになり、この状態で10年間は保存可能と言われている。戻すには水につけて1週間でようやく調理可能となる。
またサーモン,ニシンの漁獲量も世界1です。ノルウェーの海岸線は57千Kmにも及び,赤道は4万Kmです。
夜のキャビンでも立っておれずベットに横になるも揺れが酷い、夜中には強い衝撃にて目が覚めると、テーブルの物全てが床に転がっている。海は大荒れでした。
 第6日目今日は着物で過ごす  
      :北極圏(北緯66度33分)のモニュメントです。
 90度から回帰線の緯度を引くと北極圏です。ここから白夜と極夜の境界線です。北極圏通過記念スプーンに肝油を?みました。小学校で?まされた事を思い出しました
9時15分北極圏(北緯66度33分)を通過   北極圏通過証明書
       
 今日は1日のんびりと和服で、同行の皆様と、後方の島が北極圏  船長から北極圏通過記念スプーンに鱈の肝油をくれた。
VD補給させられた小学校の肝油を思い出した
 北極圏郵便局長とポスト。ここ30NKで記念切手を買い葉書を投函した
 シャンパンがふるまわれた  船長主催のさよならセレモニー  スコール(乾杯)
   
 12時30分セブンシスターズを通過 7人のトロールが石にされたという伝説 曇って7つの峰々が見えない  
 
15時〜17時ブレイネイスン寄港   ブレイネイスン港近くを散歩する。  16時夕日が奇麗
 操舵室を見学させてくださった。1996年進水、11千トン、車両24台、34の港に物資を送り届ける。   今夜も【ノーザンライトコール】が無い。残念
 第7日目 
 6時30分トロンハイム:   ノルウエイー第3の都市、人口18万人、997年にヴァイキング王であった聖オラヴテントリイグヴァソン王が町の基礎を作った。
                                                                       ノルウエイーに4つある大学の内1つの学内も見た。高台から眺める市内  
ニーダロス大聖堂、ここで歴代のノルウエイー王の戴冠式が1906年まで行われていた。  
   
     パイプの数は1万本?
       
   高さ30m、奥行101m、幅50mの大聖堂    
ノースカップ号は9時30分出港、 フティルーテン所属の船は9時45分に寄港するとすれ違い、
互いにノルウエイー国旗を振って、汽笛を長音3回鳴らしすれ違った。
 修道士の島:11世紀ごろベネデイクト派の修道院が有った。
1985年には要塞や刑務所として、現在はレストランが建っている。
   16時30分〜17時30分クリスチャンスに寄港  鱈を持った女の銅像
  船での最後の晩餐      今日は特別食、 ほたての前菜  たばら蟹、1人前大きすぎる
 第8日目 
午前1時にオーレエスンに寄港。昨夜は最後のオーロラチャンスと零時まで待機していたので、爆睡中でした
     
 ベルゲンでノールカップ号を下船する。  ノルウエイー第2の都市人口28万人  世界遺産のブリッケン
   
ベルゲン港の昔の船着場
 
 第9,10日目  ムーミンショップ
     
 オスロのホテルを9時に出発し、、ヘルシンキに15時45分着経由で成田翌日の14時05分着、福岡空港経由で21時に我が家に帰る。 ヘルシンキ空港で買ったお土産
    北極点通過証明書