2004年4月29日〜10月31日
南予の町の物語り
NO2宇和町・宇和島市
えひめ町並み博(大洲・内子・宇和を中心に宇和島市、八幡浜市など 南予(なんよ)一円で開催)に行って来ました。
宇和町へ
ここ宇和町は、古くから肥沃な盆地は南予の穀倉地帯として、また四国霊場43番札所明石寺の門前町として、宇和島街道の宿場町として栄えた
白壁、格子窓、うだつ
の建物が残る。
 
 
柳井よりフェリーで2時間30分松山へ 中町の町並み

松屋旅館
 今日の宿である200年以上の歴史を誇る松屋旅館   部屋には犬養毅(木堂)の書が掛けられている。 江戸時代より代々ぬか床を守り、継承して来た漬物が出される。



蘇れ!明治の婚礼年間20組募集中



高張り提灯に火が灯され、幻想的な中町通り。 

お披露目
 提灯でライトアップされた町内を人力車で一周



宇和町中町
鳥居門。庄屋の鳥居半兵衛が建てた立派な門
身分不相応として、宇和島藩の怒りを買い、左遷となった
開明学校への町並み

開明学校(現存する西日本最古の小学校)

1982年、町民の寄付により舶来のガラスにアーチ型の窓を持つモダンな校舎。 孫が先生になる
”二十四の瞳の岬の分教場では弟が先生、私は生徒だった。今度は私が先生よ!”と主張する。

宇和町民具館

宇和町の暮らしや祭りの変遷を物語る民具が約5000点展示されている。


元見屋酒店。創業200年を数える老舗酒造   天窓から光が差し込む帳場 上;鬼瓦。大根2本と茄子3個の組み合わせの野菜の瓦  
下細かい作業が施された持送り



出世をすると”うだつが上る”という。
うだつは、火事の時、類焼を防ぐ役割があったが、次第に金をかけて装飾的な意味へと変ってきた。 二宮敬作住居跡
ドイツ人シーボルトの高弟で蘭方医の二宮敬作を頼って、村田蔵六(後の大村益次郎)が、1849年逃亡中の高野長英らがやって来た。シーボルトとお滝との子イネ(1827〜1903年)にオランダ医学をここで教えた。


宇和島へ伊達10万石の城下町として栄えた。                                                                

天赦園
7代藩主が隠居所として整備した池泉回遊式庭園  家紋の”竹に雀”にちなんで、竹が多い。

宇和島城
1601年藤堂高虎が築城し、1615年仙台藩主伊達政宗
の長子秀宗が入城し、9代にわたって繁栄した。
夕日に向って瀬戸内海の周防大島と情島を航行する防予汽船



兎に角魚が美味しい。郷土料理が多い。鯛そうめん、ふかの湯ざらし、丸ずし、太刀魚の巻焼き、じゃこ天などなど
ふくめん
甘辛く煮付けた千切りコンニャクの上に紅白のそぼろ、ねぎのみじん切り、卵のそぼろを載せたもの。
さつま
白身の魚を焼き、身をほぐしたものと味噌を擦合わせた汁と麦飯にぶっかけて食べる南予の素朴な料理
鯛めし
日振島を根拠としていた藤原純友の海賊衆が、酒盛りの後、酒を飲んでいたお椀に、飯を盛り、鯛の身を乗せて食べたのが始まりとされている。生の鯛を出し汁と卵に混ぜてご飯に掛けて食べる。
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